現場監督が読書しながら執筆する『一日半歩』

現役現場監督。設計も施工も、現場の第一線で日々奮闘中です。家族とアメフトに情熱を注ぎ、メモと読書を自分のものにする。何気ない日常の出来事を、一つのストーリーとしてアウトプットする。そんな発信の場をつくっていきます!

私はその日、少年から幸せをもらった

 

 

「感謝の気持ちは回ってくる」

 

 

 

 

いつか、どこかで私が渡した感謝。

ありがとうという感謝の言葉。

些細なことだけど、それが誰かの胸に届いて、

また私のところに帰ってきては、心を温めてくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは!」

 

 

 

 

私は、小さな男のそんなたった一つの挨拶で、

心が温まり、感動すら覚えさせられた。

 

本当に些細なことだったかもしれない、

 

しかし、

 

私の心には十分に届いていた。突き刺さっていた。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

某日、昼。

 

 

 

 

 

 

とても暖かい日差し。

なんてぽかぽかと気持ちがいいだろう。

 

背面の窓から昼の日差しで背中が照り付けられ、

じわじわと熱くなってくるのを感じる。

ブラインドをおろせば光も遮ることができるが、

日の光は浴びていても気持ちがいいものだ。

 

 

体温も上昇し、水分も失われていく。

座って作業し続けていると、のどが渇く。

私は人よりも多少サイズは大きい方かもしれないし、

やはりとる水分量もそれだけ多い。

私は朝来てから帰るまでに、何度も給湯室に出向く。

コーヒー、水を水筒にいれて席までもっていくのだが、

あって言う間に飲み干してしまう。

結構の回数だ。

 

自分で気になって調査していたけれど、

一時間に1回は席をたっては、給湯室でコーヒーをいれていた。

まぁタバコ休憩必要ないし、これぐらいの移動はね。笑

 

 

これだけ水分とるともちろん尿意も容赦がない。

水分の補充とともに、トイレに出向くこともある。

特にブラックのコーヒーは、私の作業効率を高めてくれる。(同時に尿意も)

カフェインによる覚醒効果、ほんのりくる苦み、

これにより脳がやる気になってくれる、そう感じているし、

仕事する中での自分のいわゆるルーティーンのようなものだと思っている。

 

その代償に、トイレはが非常に近くなるリスクがある。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩く場所だったり景色、同じ場所の行き来ではつまらなくなる。

事務所に閉じこもって図面と見積もりとにらめっこ続きだと、

頭がどうにかなりそうになる。

適度な歩行は脳をリフレッシュしてくれる。

それ目的で少しトイレの場所を変えたりもする。

 

商業施設とつながっていることもあって、

事務所のトイレだけでなくフラッと少し遠いトイレに足を運んだりもする。

煮詰まっている頭を一度冷やしたいのだ、許してほしい、、、

 

 

 

 

 

 

 

そんなフレッシュさを求めてトイレに足を運んだ時、

私は少年と出会った。

 

男性の小便器が4つ並ぶ。

少年は一番手前の小便器に向かっていた。

4歳、5歳ぐらいだろうか。

ズボンを下ろしたお尻丸出しの状態でトイレに集中していた。

 

「偉いなぁ、うちの子供もトイトレ(トイレトレーニング)始めんとなぁ、、」

 

なんて思いながら、

用を足す少年を横目に奥の小便器へ向かおうとした。

その時、少年のはっきりとした声で、

 

 

 

 

 

「こんにちは!」

 

と、一言。

 

 

 

 

 

 

 

 

トイレ中に響いただろうか。

いや、廊下まで聞こえるほどではないだろうか。

 

はっきりとした声で、後ろを通ろうとする私に振り返って挨拶したのです。

もちろん、お尻丸出しの状態で。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、こんにちは!」

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬詰まって、何とか返答した。

 

まさか、このタイミングで挨拶されるなんて、思ってもみなかった。

全くこちらも準備できていなかったし、

まさかこの状況で振り向いて、こんなはっきりと挨拶できるなんて、

親御さんの素晴らしい教育の賜物なんだろう。

 

私も、何とかかハッキリと返すことができた。

 

この状況で、普通の大人なら挨拶なんてあるわけないし、

ましてや他人にここで挨拶するとも考えにくい。

社内であっても用を足している最中に、

気を使ってあまり挨拶をしないだろうし、私自身も遠慮してしまう。

 

しかし、少年にそんな状況は関係ない。

知らない人でもすれ違いに元気よく、相手を見て挨拶ができる。

こんな素晴らしいことはない。

 

会社ですれ違い様の挨拶でも人間性がでる。

相手をみてはっきりと「おはようございます」「お疲れ様です」

と、言えているか。

うつむいてボソッと、言わなければいけないから言っているだけか。

ちょっとした意識の違いだったり、

相手とのコミュニケーションの一歩でもある挨拶。

やはり面と向かって、笑顔ではっきりとされる挨拶に、

嫌な感情は抱かないと思うんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の環境と、その少年を重ねあわせたりして、

いろんなことを頭の中で考えていた。

 

私が笑顔であいさつを返すと、

少年は満足そうな笑顔だった。

 

そしてズボンを上げて手を洗い、

水しぶきを払いながら廊下へかけていった。

 

 

 

そして、トイレの外から声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お母さん、さっきね、こんにちは!って言ったらね、こんにちは!って返してくれたよ!」

 

「うんうん、良かったね~(o^―^o)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の心は、一気に温まった。

 

本当に些細な出来事だったかもしれない。

ただあいさつをされて、あいさつを返しただけ。

日常の中にあるし、毎日それは通り過ぎていることかもしれない。

それなのに、ただの日常なのに、こんなにも私の胸を熱くさせる出来事だった。

目頭がジワーっと熱くなるのを感じる。

 

 

私は少年に、心から感謝していた。

 

ありがとう。

私は確かに受け取ったよ。

君からのその、優しい優しい心の温かさを。

だからこれを誰かに必ず届続けようと思う。

いつかこの暖かさが、また君の元へ返ってくるように。

 

「感謝」は廻り続ける。

 

だからその心、いつまでも忘れないでほしい。

そして、周りにその温かさをいつまでも広めてほしい。

 

私もその温かみを受け取った一人として、

この「感謝の温かさ」を廻し続けるよ。

 

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その感謝、しかと受け取りました。またいつか、必ず君の元へ。

 

 

 

「感謝の気持ちは回ってくる」

 

日常が日常で通り過ぎていたかもしれない。

そんなところに気が付かされたある日の出来事。

日常は意識すればするほど多くのことが見えてきます。

それは感じる側の感じる力によってもその情報量はことなる。

 

当たり前の日常からヒントをみつける。

アイデアのヒントは日常に隠れている。

だから今日も日常を当たり前に過ごさないように、

自分の琴線に触れるものを見逃さないように、

今を精一杯生きていきたい。

 

あの少年の、まっすぐな心のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

現場からは以上、では本日もご安全に!('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"(それでは、楽しんで)

 

 

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映える、日本のこころ

 

 

「映える」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう日本全国共通の言葉ではないかと言わんばかりに、

その言葉は名が知られている。

老若男女問わず使われるし、意味もおおよそ理解している。

 

 

SNSが急速に成長し、

個人の発信がより自由になっていった。

自分のライフスタイルや気に入ったものを紹介したり、

かわいいもの、キレイな写真を上げたり、

個人の興味によって自由に発信ができる。

 

これはとても素晴らしいこと。

 

こうやって今ブログを書いてSNSで発信して、というのも、

自分の価値観の表現だったり、

自分という人間の考えていることをもっと外に発信したい。

体験のアウトプットの場として使いたい。

そういう思いから来ているのだと思います。

 

 

そして、大多数の目に触れるということ。

賛否両論の意見があり、賛成があれば反対があるのは当たり前。

人の目に触れるところに出すというのは、

自分を試す、自分を確かめる行為であり、

やはり自分の中にとどめているだけではなく、

他人の目で見てもらってわかることも多い。

見られることによる評価だったり反応、緊張感。

今のSNSはアナリティクスで簡単に自分の発信に対する反応をみることができる。

 

自分自身の体験を発信して、

世の中ではどんな反応が得られるか。

 

 

 

 

 

「とにかく市場に出せ」

 

 

 

 

 

これが大事。

私はそう学びました。

 

 

小さければ小さいほど、

個人であれば個人であるほどです。

とにかく人の目に触れるところに出しまくる。

何か不備があれば修正していけばいい。

70%~80%の完成度でもいい、

自分の中で期限をきって更新ボタンを「ポチッ」としてしまう。

 

SNSは簡単に自分を発信できる場。

気張っていてもしかたがないし、最大限活用しと考えるなら、

 

「とにかくアウトプット」

 

見る側よりも、発信する側の方が得られるものが多い。

日々そう感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「映えたい」

 

「よく見られたい」

 

「かわいく撮りたい」

 

「きれいな景色を見せたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなものでも「映え」につながる要素になりうる。

 

 

料理が来れば写真を撮るし、

かわいいお店があれば写真を撮る。

 

 

 

 

 

 

 

今朝、

情報番組を見ていたら、

「マウント」という言葉が取り上げられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マウント」・・・相手より自分が優位であるということを示す心の表れ

 

 

 

 

 

「こんな高級なランチしてます、ブランド物買ってもらいました」

お金ありますマウント

 

 

「旦那がこんなこと言ってて~、あ、そういえば結婚まだでしたっけ?^^」

結婚してますマウント

 

「ボーナスいくらおもらった?実は今の時期なのに○○ぐらいでてさ~」

ボーナス高いですマウント

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、なんか、

なんでもありなんだなって感想です(笑)

 

 

 

自分はこんないい生活してます。

 

こんな素敵なランチ食べてます。

 

こんないいとこ行ってます。

 

 

 

 

個人が簡単に発信できるようになったからこそ、いろいろ出てくるんですね。

自分はそんなつもりなく、自慢でも何でもない。

そんな方も多いと思います。

 

人によっての受け取り方の違いも大きいと思いますし、

「マウント」のように聞こえる人は聞こえてしまう。

相手によってもそれは変わります。

自分の方が劣っている、ということを認めたくない、

嫉妬や妬みの感情も混じってると思います。

 

 

 

 

自分を受け入れてほしい。

 

自分を認めてほしい。

 

 

そんな欲求なのかもしれません。

これは、日本独特なとらえ方とも言えます。

欧米ではそもそも「マウント」なんて言葉存在せず、

日本人が「馬乗りになって一方的に相手を殴れる優位な体勢をマウンティング」と呼ぶように、

そこから来た日本特有の言葉のようですね。

 

欧米はもともと個人をより尊重し、自分を発信するのが当たりまえ。

お金をもってようが、いい服を着て、ブランドを身に着けて、

自分の好きな服を着て、自分を表現することは当たり前であって、

それを他人と比較してどうこうという考え方が根本にないそうです。

 

 

 

 

 

 

では、なぜ日本人は他人と比較して優劣をつけたがるのか。

 

 

 

 

 

一説によるとこれは、昔からの根強い日本人の精神にあるようです。

 

日本人には、

「へりくだる」「謙遜する」

といった考えが大昔から存在し、それが当たり前として備わっている。

決して自分を上げない。

他人から褒められても「いえいえ、私なんか大したことない、、、」

自分を上にあげず、相手を立てる。謙遜する。

この考え方が根本にあります。

 

 

その根本的な考え方からすると、

「すごいでしょ、キレイでしょ私」

という表現に対しては、どこか少し嫌悪感が残るのかもしれません。

これは当たり前のこと、といいますか、

日本という環境で育ってきたからこそ感じる、独特な感性なのかもしれませんね。

 

日本のマナーの考え方だったり、

昔から伝わる考え方。

武士の心だったり仏教の教えだったり。

本当に素晴らしい考え方、こんな考え方があるんだ、と感心しますし、

今の自分自身にとっても非常に勉強になっています。

そんな今の時代を生きてきて自分以外の感性に触れれる。

 

やっぱり読書はおもしろい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「日本のこころ」は素晴らしい。私は日本人であることを心から誇りに思う。

 

 

 

 

捉え方、受け取り方の違い。

他人と自分を比較すること、違うことを気にする必要はない。

多数決である必要はないし、

大多数だから正しいわけではない。

自分の考えを持ち、自分の頭で考えること。

そう思わないと、今より前へは進めない。

 

しかし、

「負けず嫌いの心」というのを忘れてはならない。

こいつには負けられないとか、あそこには絶対に勝つとか。

やはり勝負心をメラメラと燃やすというのはとても大きなエネルギーであり、

それがまた「切磋琢磨」ということにつながる。

 

 

 

 

なんかしっくりくる言葉って、昔から伝わる言葉だったりする。

 

うん、やっぱり日本の言葉って素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

現場からは以上、では本日もご安全に!('◇')ゞ

 

"good luck have fun"(それでは、楽しんで)

 

 

 

 

 

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本当の自分、それは急に顔を出す

 

 

「目の前でトラブルやアクシデントが起こった時にとる行動にこそ、あなたの本質があります」

 

 

 

 

 

目で見て、考えて、

自分の中の知識を引き出してきて、

行動に移す。

 

 

事前に準備ができていれば、思うように物事進めることができるかもしれない。

 

しかし、

常に自分が準備していたこと、

自分の思い通りに事が進むことの方が少ないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

予測は常に的中するわけではない。

上手くいくイメージを掴んでおくことも大切だが、

失敗やトラブルのイメージをしておくこともまた重要。

常に最悪の事態を想定しておく、

これが万全の策だと思っている。

 

 

 

 

 

 

物事は応用が効く。

しかし、全く同じ物事ではない。

応用は効くが、全く同じ手法をとれば、

前回同様の結果が得られるとは限らない。

 

「事件は現場で起こっている」

という言葉がありましたが、

現場では常に状況が変わります。

現場によって環境や条件も異なりますし、

これをやっておけば絶対大丈夫というものでもない。

絶対はない、そう、現場につく人間として日々感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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目の前の自分へのとっさの優しさ。

それに対して自分が感謝の気持ちを言葉で

表現できるか、できないか。

 

この小さな差はとても大きいと思っています。

 

優しさに応えて、はっきりと感謝を言えるのか、

または、あたり前のように通り過ぎてしまうのか、

こっ恥ずかしくて言うのためらってしまうのか。

 

 

 

 

 

急に、不意に、

そんな時に人間の本質は出てきます。

無意識の部分に人間性が現れます。

 

 

感謝の気持ちを表す、

これは自分のためでもあり、相手のためでもある。

 

何も知らない、赤の他人のあなたへの、

ちょっとした優しさ溢れる行動。

相手はもしかしたら、

「いらんことしたかな?」

なんて不安な気持ちになてつぃまうかもしれない。

 

良いことをしたのに、

した側を不安な気持ちにさせるって、

そんな気分が悪いことないじゃないですか?

 

そうやって相手の立場になって考えると、

小さなことに対しての感謝の気持ちというのは、

自然に自分の中に宿っていく。

私はそう思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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優しさを受け取る。感謝をあげる。

 

 

 

 

ありがとうの一言で人の心は温まるものです。

そうやって感じた覚えはないでしょうか。

 

私はたくさんあります。

 

ですから、その温かさを周りにも広げたいと思うし、

何も知らない、赤の他人への優しさ、

その勇気ある行動への敬意を払うとともに、

絶対に不快な気持ちになどさせまいと。

 

周りでサポートしてくれる人たちへの気持ちも同じ。

自分一人でできることなど、本当にたかが知れている。

周りの人たちが頑張ってくれるから自分が生きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪くなったら自分のせい、上手くいったら他人のおかげ」

 

 

この言葉をよく自分の心の中で、自らにかけています。

感謝の心を持たぬモノに進歩はないし、

必ずどこかで痛い目をみる。

 

自分が良ければいい。

そんな心がある限り、

自分が進歩することはありえない。

 

 

 

 

 

以上、本日もご安全に!('◇')ゞ

 

"good luck have fun"

 

 

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選択の連続の中で

 

 

 

「今日は、これに決めた!」

 

 

 

待ちに待っていた。

お腹はすでにペコペコ。

お腹の虫もないている。

 

食べることの楽しみ。

 

ひと頑張りした後のご褒美だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昼ごはん」

 

これを一つとっても、

人によって考え方は違うし、

幅広い選択肢がある。

 

大体の企業でいえば、

昼休憩というのは12:00~13:00ぐらいでしょうか。

今日は何を食べよう。

もしかしたら、朝から昼ご飯で頭がいっぱいだったかもしない。

あれを食べよう、今日はこれが食べたい。

 

食べたいものを食べる、という選択肢。

 

はたまた、

お弁当というパターンもある。

自分で朝早く起きてつくったり、

大切な人が早起きしてつくってくれたり、

前日のおかずをつめたり、

あさおにぎりをにぎったり。

 

これも一つの楽しみといえる。

 

 

 

 

 

 

外食する場合は、選択肢が幅広い。

自分の食べたいものや、

めんどくさいからコンビニでいい、

という考えも少なくない。

 

ラーメンとおにぎり。

栄養を考えて、今日は油モノはやめておこう。

ダイエットしてるし、昼は抜こう。

いやいや、今日は牛丼だ。

 

たくさんの選択しの中から、一つの選択肢を選ぶ。

昼飯の選択。

 

人間は常に決定に迫られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳は朝起きて、

時間がたつにつれて疲弊していく。

 

それは、日常生活、生きていく中では

常に選択の連続であり、

脳がいつも動いて判断しているから。

 

 

 

 

 

あれをやろう、これをやろう。

 

今日はこれを着ようか、こっちにしようか。

 

今日は何を食べよう、あれが食べたいなぁ、いやこっちも、、、

 

 

 

自分の今日一日を振り返っても、

数えきれない選択をしてきた。

 

この一日の中で、重要な選択はどのタイミングだっただろう。

 

適切な選択ができていたか。

頭がフルに動いている状態で、

自分は重要な選択に対して向き合うことができていたか。

 

 

 

 

 

朝に創造的なことを行うのは、

脳が疲労していなく、

フルの状態、自分のピークをそこに持ってくることで、

よりよいアイデアを生むことができるから。

 

そして、

脳がだんだん疲れていくのであれば、

なるべく無駄な選択を省きたい。

 

同じ服を着る、同じものを食べる。

これも一種の選択を省略することであり、

自分が本当に価値を置くものと無関係であるので、

そこの選択に対して自身の脳を使わなくていいように。

 

フルの状態で、自分自身と向き合うこと。

これを差重要と考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ランチに選択は無い。スーパーにいって決まって同じもの。栄養補給という観点の方が強い

 

 

 

 

 

 

 

アイデアをもっと多く出したいのであれば、

それ以外の無用な選択は省くべきであり、

朝の最高の脳の状態で、創造に取り組むこと。

これが最善ではないかと思っています。

 

まだまだ無駄が多いので、

興味あるものに触れていく中で、

自分が洗練されていけばいいなと思っています。

 

 

 

現場からは以上です!本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck have fun"

自分の城を守る

 

 

 

 

 

「デスクは、自分の城と思え。」

 

 

 

 

 

 

 

 

いつ攻め込まれるのかわからない。

自陣が見通しの悪いままでは、

いつ敵に入られても、内部で問題が起こっても、

気付くことすらできない。

 

 

 

 

 

 

早いとこ手を打ってしまわないと手遅れになる。

いつ何時でも、敵が攻め込んできたら一目でわかるように。

 

攻め込ませて、囲い込んで、

一網打尽にしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝負は一瞬で決まる。

 

即決、即答。

 

 

 

 

目の前のことだけに集中する。

 

「今」を意識して、今の自分を感じ取る。

 

それが常に最善の策だ。

 

勝てる戦いに、しっかりと勝ち切ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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私の机は、いつも溢れかえっていた。

 

学生時代、机の中も、カバンの中も、自分の部屋も、

これといって整理ができていた覚えはない。

 

「A型は几帳面」なんて誰が決めたんだ。

そもそも血液型程度の分け方で人間が決まるなんて思ってもないし、

血液型による性格診断なんかもあてにすることは昔から無かったように思う。

 

 

 

 

 

 

 

整理をするのが苦手だった。

 

いつも手の届く範囲にモノをおきたいタイプだ。

わざわざ出す時間を削減したい。

とんでもなくずぼらな性格でめんどくさがり。

常に最短、最速で終わらせたい。

 

字もキレイなわけでもない、

几帳面な部分など微塵もみえていなかったが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな学生時代を過ごしたまま社会にでたので、

もちろん仕事場のデスクの上なんて整理は行き届いていない。

書類は山積み。

どこに何があるのかもわからず、

渡された書類も宝探しの状態だ。

 

全部そのうち使うもの、捨てるようで捨てきれないから。

今度使うから、今日やるから、

何かと理由をつけては、山の上に積んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日の朝。

 

朝一番のりで会社に到着した。

鍵を開け、階段を昇り、オフィスを歩く。

 

デスクは一番奥。

いくつの並ぶデスクを通り過ぎる。

誰もいないオフィスは静かで薄暗く、

時間が止まっているようだ。

 

 

歩きながらボヤっとした風景。

乱雑に並べられた書類。

山積みの机が並ぶ。

キーボードとモニターがギリギリおけて、

マウスを動かすスペースがかろうじてあるぐらい。

書類の上で書類を広げないとどうにもならない状態だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな違和感を感じた。

 

 

この光景を見て、乱雑なデスク、

仕事を任せる側はどんな気持ちだろう。

果たしてこの状況が、最適と言えるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人を変えることはできないが、人が変わることはできる。

 

自分の中に持ち続ける言葉の一つ。

 

 

この山積みの書類に対してどう感じているか。

今の違和感を見逃してはいけない。

 

いちいち出すのがめんどくさいとか、

明日使うからとか、

毎日使うからとか、

 

言い訳はいくらでも出てくるだろう。

 

 

しかし、明日のものは、明日出せばいい。

使うものは使う時に出せばいい。

 

デスクの上とは何もないのが当たり前。

という感覚をもたなければならない。

 

それが受け入れる体制を作ることであり、礼儀であり、

デスクが整理されてないというのは、

自ら自己管理ができませんという意思表示をしているのと同じこと。

 

そう感じ、自分を改めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今すぐに机の上から物を捨てましょう。

下らん言い訳を考えている場合ではないのです。

 

書類がたまっていき、あれもしないとこれもしないと、という状況に

これは自分の中で多分「自分仕事しているな」

とか、周りからも忙しそうでよく働いてるな、

なんて見られること、自己満の世界に浸っている、

そんな感情があると思っています。

 

 

私個人の意見ですが、

山積みのデスクの人は仕事の管理もできない、

だらだらと仕事したい生産性低い人なんだなっというイメージです。

汚くても仕事はできると思いますが、

これは心理的に沸くイメージであり、

パッと見た瞬間にいいイメージが沸くとは思えません。

 

 

 

 

メタボの体系、だらっとしたシャツで何も思わないことと同じで、

傍から見れば「自己管理もできない人なんですね」

という印象を与えても、文句は言えないと思っています。

 

(筋トレは生活の一部なので、やらない理由がわかりませんが、、、)

 

 

 

 

 

 

これはタバコによく行く人も近いものがあると思っていて、

リフレッシュだ、コミュニケーションだ、

現場にいたらもう9割ぐらいは喫煙者じゃないのかって思うぐらい

喫煙者が多いんですね。私は結局一ミリも吸う気が起こらなかったです。

何か「モノ」に頼らないと、自分をコントロールできないような、

どこか「モノ」に頼っているようなイメージが強いです。

 

タバコがないと上手いことコミュニケーションがとれない現場なんて、

それこそ異常事態ですね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「デスクは、自分の城と思え」

 

いつでも戦える状態を維持する。

敵(仕事)が城(デスク)に攻め込んできたら、

即座に囲って一瞬で片付ける。

 

何が来ても対応できる。

そんな状態でいつもいたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ここが、私の戦場。勝てる戦に勝ち切る。

 

 

 

 

よし、本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"(それでは、楽しんで)

 

 

 

 

自己中に生きてもいい

 

 

 

努力をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

人のため、誰かのため、

 

他人のため、彼女のため、

 

家族のため、友達のため、

 

誰かのために頑張れる。

 

 

 

 

 

 

 

自分自身の欲求を満たすことよりも、

他人のためになることをするのを気持ちよく感じる。

自己満足かもしれない、

自分が良かれと思ってやってるだけ、

自分が満足したいだけかもしれない。

 

 

 

偽善者だろうが何だってかまわないと思う。

 

 

利他の心は決して忘れてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

自分がやりたいからやるのであって、

「誰かのため」というのはほんとは建前なのかもしれません。

今目の前にあることを全力でやるだけ。

 

 

 

利己的な行動が、利他的な結果を生む。

いつしかそうやって形を変えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他人のためにがんばれる「利他の心」というのは、

実は一番自己中心的な考えであったりもします。

 

だれかのために、という視点は自分から見える視点であり、

相手のことを考えてあれがいいかな、これがいいかな。

 

試行錯誤して挑むサプライズ。

大成功して喜ぶ彼女の姿を見て、

実は、一番喜んで嬉しいのは自分だったりします。

 

プレゼントをもらった時、

キレイに包装された箱を開ける。

もらった方の「何がはいっているかな」というドキドキよりも、

「喜んでくれるかな、気に入ってくれるかな」というドキドキ。

 

プレゼントをもらう側よりも、

あげる自分自身が一番ドキドキしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、を全力で生きる。

 

目の前の今を全力で生きることが、

結果周りの人の幸せにもつながっていく。

 

だから「人のために、誰かのためにがんばるんだ!」

という気負いをしすぎると、

返って心が疲れて折れてしまう人が多いんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

今自分ができる精一杯を出せたかどうか。

 

一日を振り返って、寝て、起きて、

「よし、まず今日を全力で頑張ろう」

それだけで十分なんだなと。

 

決して頑張る必要もなく、無理する必要もなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今は常に変化している。今、ここをどれだけ感じることができているか。

 

 

 

 

今、ここ。

 

「今」に最大限集中する心を今鍛えているところです。

そんな心の筋トレにも瞑想がオススメなんだな、っていうお話。

 

 

 

 

 

 

 

よし、本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"(それでは、楽しんで)

 

 

「今」に集中すること

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「今、ここ」に存在している。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今を生きているか」

 

 

 

 

今、何のために、何をしているのか。

今日という日は、どんな日だっただろう?

昨日の自分を超えれただろうか。

ありたい姿に一歩でも近づけただろうか。

少しずつで距離を詰める、

一日一歩行く必要もない、半歩でもいい。

立ち止まらなければ。

 

時代が流れる中で立ち止まっていては、

自然に落ちていくことに身をゆだねているだけ。

 

今日を全力で生きれたのだろうか?

 

 

 

あるテレビ番組で、

東大生が言った。

 

「ディズニーランドが嫌い、夢の国が嫌いなんです」

 

「それはなぜですか?」

 

 

 

 

 

 

 

「夢の国に行くほど今を生きたのか?って思うからです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も自分に問いたくなった。

「今、ここに集中して、今日を全力で生きたか」

 

 

 

 

 

先を見ること

 

イメージすること

 

ありたい姿の想像

 

夢。

 

志。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと遠くを見ようとしていた。

 

何者かになりたいとか、影響力をもちたいとか、

昨日の自分を超えたいとか。

 

どんな姿を浮かべていたのか。

自分が描く自分の姿、

必死に描こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の自分。

それを作っているのは、

「過去の自分の今までの努力の結果」だということ。

 

今、努力することができなければ、

思い描く未来が手に入るはずもない。

「未来の自分というのは、今からの自分の努力で結果が変わる」

 

過去にすがる、というのはとても弱い。

未来を見据えるだけでは地に足が付かない。

 

思いは、視座はもちろん先にある。

遠い先。

 

 

しかし、

今を全力で生きていることができているか。

 

先のことばかり気にしていないか。

今の自分に満足していないか。

 

変えることは未知であり、不安が伴う。

だから人間は心理的に変化を嫌う。

 

変わらなければ違う結果は得られない。

だから挑戦する必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今を、生きているか」

 

 

 

 

 

 

 

また、新しい自分に出会えたか。

自分も知らない自分と出会うこと。

それが自分の可能性であり未知の経験、

自分の変化の実感ということなんですね。

 

 

 

 

 

 

 

よし、今日もがんばりましょう!ご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun" (それでは、楽しんで)

 

 

 

ノシ

 

 

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今の自分をしっかりと捉える

 

 

毒を吐いていた。

 

 

 

 

 

 

気が付けば愚痴を言っていた。

 

文句を言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

言葉にして、誰かに話すと楽になる。

酒の席で、誰かに聞いてもらう、スカッとする。

 

何気ない飲みの席、

にぎわう居酒屋、金曜の夜の街。

 

今日も今日とて、せっせと働き上手い一杯を口にする。

 

そんな楽しみでも十分なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

自分でも認識していなかった。

 

誰かに言うわけでもないが、

ぶつぶつと一人事。

 

運転しながらいろいろと考え事をしていた。

今日何があった、こんなことがあった、

こんなことを言われた、

自分の思った結果にならなかった。

 

何が不満なのかも定かではない。

何にイラついているのかもわからない。

どこにも行きようのない気持ち。

モヤモヤ。

 

 

 

今自分が文句を垂れている、

そんなことも認識できていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、俺今、なんかめっちゃ一人で愚痴ってた、、、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人、車の中で思った。

今の自分を感じ取った。

 

 

別に誰かに聞いてほしかったわけでもない、

頭に渦巻くいろいろな出来事を、

思ったことをそのまま吐き出していたのだろうか。

 

イライラすることもほとんどない、

怒ることも、むかつくこともあんまりない、

なんて思っている人間ほど、

自分自身のことを認識することができていないんだと思った。

 

 

思ったことは紙に書きだす習慣を始めた。

思ったことは全て吐き出す。

話ことばのまま、殴るようにA4の紙書きなぐる。

スカッとして、脳内も空になっていくような、そんな気がする。

 

 

 

 

 

 

他人の愚痴や文句は、

何よりも自分を害するということ。

 

 

そんな吐いてる自分を認識することができて、

「いやいや、こんなこと言ってるわ、まだまだだよ俺わ、変えよ」

 

 

認識して切り替えれるようになっただけ、自分は十分成長した。

去年よりも、昨日よりも確実な一歩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分の心を掴む。一番近いところにあるからこそ、自分の足元は見えていないモノ。何事もそうなんですね。

 

 

 

 

 

文句を垂れる、

 

愚痴を垂れる、

 

その仕事は他の人に任せておいて、

自分が変わろうと思うなら、黙って学び続けることしかない。

過去最高の自分を更新し続けるしかない。

 

それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よし、本日もご安全に!('◇')ゞ

 

''good luck have fun" (それでは、楽しんで)

 

 

 

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見た目や形にこだわる、 それも大事なこと

 

 

書くことにとらわれている。

 

 

 

 

 

パソコンで文字を打つことも、

ペンで文字を書くことも、

今はどちらも大切にしています。

 

ペンで実際に文字を書くことにも長所があり、

デジタルでパソコンに打ち込むことにも長所があります。

使い分けすることが大事であり、

その長所を最大限に発揮する形で活用する。

それぞれが1つのツールに過ぎない。

 

それよりも、

「なぜ書くのか」「何を書くのか」

という部分に集中するべきで、

形など実際なんでもよかったりします。

 

 

そんな中でも、自分自身形式や形にこだわりやすい。

とっつき始めは真似事、本当にまるままコピーするように。

ただ、その中で自分に取り入れるべきなのか、

自分だったらどう取り入れることができるだろうか、と試行錯誤する。

 

向き、不向きというは必ず存在していると思う。

劣る部分があれば、必ず何か長けている部分がある。

自分の中にはいつも可能性がある。

 

やっていけば、どうとでもなっていく。

進めていくうち、自分流になるようになっていく。

それぐらい楽観的な気持ちの持ちようで問題ないと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メモを書いたり、

ブログの記事書いたり、

書き方や、こだわり、構成というのは人それぞれです。

 

もちろん、読みやすい書き方や、

まとめやすいメモの取り方、

方法は無限にあるかと思います。

 

私が本を読み始めたのも、

メモを取り始めたのも、

ブログを書き始めたのも、

きっかけは本から得た知識でした。

 

どこか面白そう。

自分の中に取り入れて、

自分のものにしたら面白そう。

どこかに可能性を感じていました。

 

見よう見まね、と言っても、

文字から得た知識だけですので、

どこか凝り固まったような、あまり実用性のない、

今では本当に真似事で書いていただけだったなぁ、、、なんて思います。

 

書けば何か自分の足しになるとか、

少しでも成長できるだろうとか、

何だかぼんやりとしていて、

 

「何かしなきゃ、止まってちゃだめだ」

 

と思って、

どこか焦るように、

がむしゃらに目の前の何かに取り組みたかっただけかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た目をキレイにまとめることも大事。

 

一定の書き方で、見やすくまとめることも大事。

 

 

でも、

 

「書くことに対してもメリハリをつけることが大事」

 

ということを見落としていました。

全てガチガチに、

本で学んだ通り、

紹介されていた通りの方法で実行しなければ、

何も自分のプラスにはならないと。

 

同じことをして、

同じ意識でやらないと、

無駄な時間を過ごすだけなんだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人それぞれ、向き、不向きがあります。

 

「十人十色」という言葉があるように、

同じ色ではないし、その本で紹介している人と、

全く同じ人間なはずはないということです。

 

自分には自分に向いた方法、仕組みが必ずある。

 

たまたまその人のとって、

紹介する方法がベストだったのかもしれません。

 

しかし、

それが自分に対してベストなのかというと、

それもまた違うのです。

 

 

 

そこに記されているのは、

その人が経験した一つの方法論にすぎず、

そのマネごとをして、その人になれるわけではない。

同じような結果が得られるわけではないということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は多分、焦っていました。

 

何かが迫ってくるかのように、

 

動き始めないといけないと焦っていたんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで書いているんだろう。

 

こうやって毎日メモを取り続けて、

がむしゃらにペンを走らせることに何の意味があるのか、

という疑問が度々頭の中に浮かんでいました。

 

「何か成長につながる、けれどもそれが何かはわからない」

 

 

 

 

ふわっとした思いに、

ふわっとした行動、

 

「自分の行動にさえ自信を持つことができていなかった」

 

そう思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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キレイで澄んだその形の中に映る、その真実を知ろうとすること。



 

 

 

 

 

 

 

「書くことにとらわれている」

 

 

 

 

 

 

 

何も凝り固まった考えは必要ない。

思いのままに書くことから始めることが大事です。

 

自分に嘘をついては、何にも身に付きません。

今やっていること、やろうとしていること、

「なぜ始めたのか、なんのためにやっているのか」

自分自身と向き合って、振り返る時間というは、

自分の軌道を修正してくれる。

 

そんな時間を毎日設けるようにして、

日々前へ進めたらと思っています。

 

 

 

 

よし、今日もやろう!ご安全に!('◇')ゞ

 

"see you next time." (また会いましょう)

 

"good luck have fun."(それでは、楽しんで)

 

呼吸、当たり前の習慣

 

 

呼吸を感じる。

 

 

外の空気を大きく吸い込む。

それが喉を通り肺に入り、お腹の下辺りまでたまる。

体の隅々まで血管をめぐり、体中行き届いていく感覚。

 

そして、少しずつ外へと吐き出していく。

ゆっくり、ゆっくりと、

出ていく空気を感じながら、

体内の空気を空にしていく。

 

吐ききったとところでまた大きく吸い込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼吸することを深く意識したことはない。

物心ついた時から呼吸の仕方を知っている。

教えられたわけではない。

吸って吐いて吸って吐いて、

毎日繰り返している。

 

呼吸は平均で1分間に15~20回、

一日にしておよそ3万回前後にもなるそうです。

 

 

習慣として、意識して呼吸している人はいるだろうか。

生まれた時か人間の本能として、

当然のようにする習慣として、何も疑問に思うことなく、

毎日呼吸を繰り返している。

 

起きている時も、運動するときも、

寝ている時も、自分の意識がないところで呼吸を繰り返す。

 

とても密な関係にある人間と呼吸。

生きるために自然に身についた習慣。

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生のころ、夏休みには必ずラジオ体操があった。

朝早くまだ眠い時間、親につれられ広場へ行き、

近所の子供たちとともに体操していたのを覚えている。

毎日来た証にスタンプカードに判を押してもらい、

そのスタンプカードを埋めるために頑張っていたかもしれません。

 

現場の朝礼でも必ずラジオ体操をします。

それは一日の始まり、事故無く作業を終えるために、

朝一の体を起こすための運動。

私は前に立ち、もちろん全力で体操しています!

 

 

 

ラジオ体操は、実はとても深く考えられたプログラムになっており、

朝一の運動、体を起こすのに最適ともいえる。

 

 

 

その締めともいえるのが深呼吸

深く吸って吐くことで、なんだか心が落ち着くような気がして。

そんな感覚がとても好きだった。

 

特に冬場の冷たい空気を大きく吸ったとき、

体の隅々まで染み渡るような感覚さえした。

それが体を起こす合図だったり、

今から作業に入るぞという自分の一日のスタートになっていたのかもしれません。

 

 

呼吸は体を整えてくれる。

そして、心まで整えることができる。

 

最近話題に上がる「瞑想」についても、

「呼吸を整え、心を整えて、今を感じる」

ことの大切さから来ているように思います。

 

私も朝と夜は5分の瞑想を少しずつ取り入れるようにしました。

なぜなら「瞑想」というのは、「心の筋トレ」といっても過言ではないぐらい、

自分自身の心、マインドを整え鍛えることができる大事ツールの一つ、

そんな感覚があったからです。

 

記事で見た、本で見た、偉人がやっていた、

それの真似事にすぎないのかもしれません。

しかし、

「なぜやるのか」の部分を深く学んでいった時、

これは自分自身に取り入れるべきものだなと直感的に感じました。

 

実践してみて、自分が体験したことこそが信用できるものであり、

今は自分の中でどんな形で取り入れるのがいいか試行錯誤しています。

 

 

 

呼吸を通じて、心と体をつなげる。

感情や感覚も消えて、全て受け入れることができる無の状態。

 

それこそが、たどり着きたい領域ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間も、世の中も常に変化している。

ありとあらゆるものは変化を続けており、

一瞬たりとも同じ状態を保ってはいない。

 

変化に柔軟に対応すること、

自分自身が変わり続けることが求められ。

そんな世の中だからこそ、

全てを受け入れることができる「心」を学びたい。

それを実践したいと思いました。

 

一日半歩ずつでも、足を止めずに進んでいこうと思います。

 

 

 

 

 

 

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空気を感じる、呼吸を感じる、自分自身の意識を感じる。

 

 

 

 

 

 

よし、今日もやっていきましょうか!

 

good luck, have fun.(それでは、今日も楽しんで)

 

 

 

 

やってみてから考えるべし↓↓↓

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