現場監督が読書しながら執筆する『一日半歩』

現役現場監督。設計も施工も、現場の第一線で日々奮闘中です。家族とアメフトに情熱を注ぎ、メモと読書を自分のものにする。何気ない日常の出来事を、一つのストーリーとしてアウトプットする。そんな発信の場をつくっていきます!

汚れてもいい、大きなキャンパスに描き続ける

 

 

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大きな白い壁面に、思うままに描く大切さ。

 

 

 

「服はいつでも捨てる。こだわらないから思いきれる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のこだわり、価値観、

 

それらは今までの自分の体験、経験からつくられるもの。

 

 

 

これがいい、

 

このブランドだから、

 

ここがつくったものだから、

 

 

 

 

過去の経験からそれらがいいものだと、

 

自分に合ったものだと予測する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去にとらわれるということは、

 

自分の頭の中の価値観を優先していることであり、

 

新しいことへの気づきとは遠ざかる。

 

 

 

 

 

未知のものに触れてみたり、

 

自分がかかわったことない環境に飛び込むこと。

 

新しいモノを生み出すうえで、この考え方は必ず大事になってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

着るものにとらわれる。

 

ブランドだったり、デザインだったり、

 

これは着る、これは着ない。

 

 

それは自分が着たいかどうか、という判断ではないかもしれません。

 

自分で自分の自由を縛ってしまっている、

 

勝手に制限をしている。

 

 

 

 

自由という感覚に制限をかけるのは、

 

もしかしたらいつも自分なのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が好きな例に、

「ペンキで絵を描く子供」というものがあります。

 

目の前でかわいい子供がお絵描きをしている。

自分の思うままに描く子供というのは、

自分が汚れること、服が絵具だらけになることも顧みず、

思うまま、自由にその白いキャンパスに絵を描いていきます。

しかし、そんな自由な発想で絵描きをしている時に、

「新しい服が汚れてしまうから、絵具が付いた筆を振り回すのはやめなさい」

なんて言ってしまう。

子供はしょんぼりしました。

それから絵は小さく、自分の服を汚さないように制限して描く様になりました。

 

大人の役割は、子供が夢中になって遊ぶ姿を見守り、

そして必死に応援すること。

「いつ捨てたっていい服」を着ていれば、行動を制限されない。

いつでも思い切って絵を描ける。

大きなキャンパスに、自分の思いの全てを描く。

だから、安心して自分の思うように描いてごらんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モノにこだわる、

 

自分のこだわりをもつ、

 

自分の中の信念、志という確たるものを持つ必要はあるが、

 

モノへのこだわりを捨てきれずにいては、

 

過去の自分を超えることができない。

 

 

過去をたどることは、

 

結局過去と同じ道を歩みなおすことになる。

 

 

 

 

「新しい何かを生み出す。

 それは創造することでもあり、

 過去を捨てることでもある」

 

 

僕はそう思う。

 

だからこそ、一生懸命に「今」を走り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現場からは以上!では本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"