現場監督が読書しながら執筆する『一日半歩』

現役現場監督。設計も施工も、現場の第一線で日々奮闘中です。家族とアメフトに情熱を注ぎ、メモと読書を自分のものにする。何気ない日常の出来事を、一つのストーリーとしてアウトプットする。そんな発信の場をつくっていきます!

緑に囲まれた環境、やはりそれが自分の落ち着く場所なんだろう

 

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自然と共に生まれ育った。それが自分の当たり前。

 

 

 

 

凍てつくような冷たい風。

 

自然の空気。

 

紅葉で色を変える山。

 

私は昔から山の側で育った。

 

 

よく考えれば、

小学校は山とつながっていたし、

猿が学校におりてくることもあった。

 

夏になればカブトムシを取りに山へ入り、

山奥の川で泳ぐ。

天然の岩壁は川の流れによって削られ、

自然でつくられた飛び込み台から川へ飛び込む。

 

 

 

当たり前の生活だった。

自然はいつも共にあり、

山も、川も、海も、

全てがすぐそこにあった。

 

 

 

田舎という田舎で育った。

不便かといわれると、

特に感じたことは無かった。

 

その街で生まれ育ち、

その環境を当たり前として大人になっていった。

 

高層の建物が立ち並ぶ今の光景こそ、

違和感でしかなかったのかもしれない。

 

今でもずっと、

タワーマンションを見上げて歩く、

そんな田舎っぷりを見せているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

環境が変われば、大きく変わる。

 

 

「人」

 

「家」

 

「仕事」

 

 

 

この3つは自分の日常を大きく変える要因。

 

 

人付き合いを変えれば、

自分の知らない世界を教えてくれる人と出会えるかもしれない。

 

 

家を変えれば、

今まで見たことない光景から考え方が変わるかもしれない。

 

 

仕事を変えれば、

自分が本当にやりたいことに近づくかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今」を変えること。

自分から何か変えようとする、

環境を変えるということは、

身の回りの物事が強制的に移り変わる。

 

意識や考え方を改めることも大事だが、

その根本的な部分から見直すこと、

それがとても重要だと感じる。

 

 

 

 

 

意識や「何としてでもやってやる」という、

精神論に頼るにも限界がある。

やれる仕組み、自分が続けれる仕組みつくり。

 

人間の心理的部分へのアプローチ、

身の回りの環境の変化。

 

 

毎日同じ場所で、同じことをやる。

自分が最も理解していることであり、

安定、安心がある毎日かもしれない。

 

 

 

 

 

しかし、

その先の未来に不満があり変えようと思うのであれば、

「今」を何かしら変えていくことが必要。

 

「今」できる目の前のこと、

やれることを全て全力でやる。

 

確実に、毎日一歩ずつ。

 

ただ流れる日常などない。

日常はアイデアで溢れているのだから。

 

 

 

 

そして今、

環境がガラリと変わった。

 

凍えるような寒さに、

山の中の住宅街。

バタバタと新しい生活がスタートしつつある。

 

「家」が変わり、

まるっきり環境が変わった。

 

 

 

また、おもしろい日常を体験できそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、現場からは以上!本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"

 

 

 

現状を疑う心について↓↓↓

 

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何を捨てれたか、自分から何を引けるか

 

 

 

モノを持たない時代。

 

足し算ではなく、引き算の時代に入っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報はあふれている。

 

知識もある。

 

あれもこれも知っている。

 

 

 

時代が進むにつれて、いろんなものが進化していく。

 

安かろう悪かろう、

という思考が普通だった今までもかもしれないが、

どんどんモノはよくなってきている。

 

「100均」というと昔あまりいいイメージはなった。

安っぽかったり、壊れやすかったり。

やはり値段相応の価値を感じていて、

「まぁ100均だからね」と感じることが多かったように思います。

 

 

「100円」という価値に対して、

「100円でここまでできれば上出来だ」

という思いを抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

今は考え方が全く違う。

 

本当に技術の進歩というものに驚かされる。

 

自分自身も100円ショップで買うものも多くなったし、

なんといっても品数がとんでもない。

商業施設のワンフロア埋め尽くされている場所もあるぐらいだ。

 

 

品数が無駄におおいだけかと思われるが、

私の体感ですが品質も上がっている。

 

「100円でここまでできるのか」

 

「これ本当に100円でつくれるのか」

 

 

 

自分の想像の上をいく。

そんな商品の数々が多く、

私も数多くのアイテムを利用しています。

 

 

「安くていいモノ」が手に入る時代になっており、

それには並々ならぬ努力があるものと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

一つの考え方として、

価値の置き方、機能性の面での考えが変わってきていると思います。

 

今までの考え方として、

「これ一つあればこれもできて、こんなこともできます」

多機能であることを売りにしていることが多かったように思います。

一石二鳥にも三鳥にもなるアイテム。

 

そんな商品に対して価値を感じていた。

 

 

 

しかし、

今の時代は逆にその多機能を削って、

そのコストを一つの機能やシンプルなデザインに注ぎこみ、

安くて質のいい1つのアイテムを作るようになっている。

そして、それを求められている。

 

安かろう悪かろう、では納得しなくなった。

 

この機能で当たり前。

当たり前の基準が高くなっており、

どんどん求めるレベルも上がってきている。

 

「専門性」

 

「分業制」

 

 

なんとなく古くからの職人魂からくる部分もあるのではないだろうか。

それを作る専門的な人がいて、

いかに安く、いかにいいものを作るのか。

 

 

 

コロナウイルスと共に大きく考え方も変わっている。

 

 

 

モノを持たない、シェアする。

 

 

必要な時に、必要な分だけ。

 

 

あれもこれもできる必要はない。

 

 

見た目、デザインはよりシンプルに。

 

 

 

 

 

 

 

仕事柄、建築雑誌などはなるべく目を通すようにしています。

そんな中でも、今のデザインはシンプルそのもの。

あるがまま、使えるものは使う。

 

 

天井を貼って、

 

壁紙をはって、

 

ファサードを作りこんで、

 

店構えをしっかりとつくる。

 

 

そんな考え方も通用してこなくなっており、

ここでも求められているのは、

 

いかに安く出店するか、

 

シンプルでいかにかっこよく魅せるか、

 

そんな部分を重要視してきているように思います。

 

 

 

 

 

コンクリートや鉄骨、躯体は素地が見えたまま。

 

天井も張らない、ダクトや配線も見えたまま。

 

壁も仕上げない、空調、電気などの設備ついているだけ。

 

 

 

空間そのものに対する考え方もガラッと変わってきた。

 

 

 

建築というのはとてもおもしろいです。

ここにもトレンドというものがあったり、

時代の流れによってガラッとスタイルが変わったり。

 

建築雑誌なんかも見ていて飽きないですね。

 

やっぱりは私は「建築」そのものが好きなんだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Simple is the best. それが最も美しい

 

 

 

 

大事なのは、

「引き算」すること。

「過去」を捨てること。

 

自分と向き合い、

時代の変化にどう対応するか、

自問自答し続けるしかないんですね。

 

 

 

 

 

さて、現場からは以上!本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"

 

 

 

更にアメフトを深めるもう1記事↓↓↓

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汚れてもいい、大きなキャンパスに描き続ける

 

 

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大きな白い壁面に、思うままに描く大切さ。

 

 

 

「服はいつでも捨てる。こだわらないから思いきれる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のこだわり、価値観、

 

それらは今までの自分の体験、経験からつくられるもの。

 

 

 

これがいい、

 

このブランドだから、

 

ここがつくったものだから、

 

 

 

 

過去の経験からそれらがいいものだと、

 

自分に合ったものだと予測する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去にとらわれるということは、

 

自分の頭の中の価値観を優先していることであり、

 

新しいことへの気づきとは遠ざかる。

 

 

 

 

 

未知のものに触れてみたり、

 

自分がかかわったことない環境に飛び込むこと。

 

新しいモノを生み出すうえで、この考え方は必ず大事になってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

着るものにとらわれる。

 

ブランドだったり、デザインだったり、

 

これは着る、これは着ない。

 

 

それは自分が着たいかどうか、という判断ではないかもしれません。

 

自分で自分の自由を縛ってしまっている、

 

勝手に制限をしている。

 

 

 

 

自由という感覚に制限をかけるのは、

 

もしかしたらいつも自分なのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が好きな例に、

「ペンキで絵を描く子供」というものがあります。

 

目の前でかわいい子供がお絵描きをしている。

自分の思うままに描く子供というのは、

自分が汚れること、服が絵具だらけになることも顧みず、

思うまま、自由にその白いキャンパスに絵を描いていきます。

しかし、そんな自由な発想で絵描きをしている時に、

「新しい服が汚れてしまうから、絵具が付いた筆を振り回すのはやめなさい」

なんて言ってしまう。

子供はしょんぼりしました。

それから絵は小さく、自分の服を汚さないように制限して描く様になりました。

 

大人の役割は、子供が夢中になって遊ぶ姿を見守り、

そして必死に応援すること。

「いつ捨てたっていい服」を着ていれば、行動を制限されない。

いつでも思い切って絵を描ける。

大きなキャンパスに、自分の思いの全てを描く。

だから、安心して自分の思うように描いてごらんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モノにこだわる、

 

自分のこだわりをもつ、

 

自分の中の信念、志という確たるものを持つ必要はあるが、

 

モノへのこだわりを捨てきれずにいては、

 

過去の自分を超えることができない。

 

 

過去をたどることは、

 

結局過去と同じ道を歩みなおすことになる。

 

 

 

 

「新しい何かを生み出す。

 それは創造することでもあり、

 過去を捨てることでもある」

 

 

僕はそう思う。

 

だからこそ、一生懸命に「今」を走り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現場からは以上!では本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"

 

考える、頭の中

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「考える」ことについて考える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分の頭で思考する」

 

 

 

 

 

 

「考える」ということ。

 

考えているようで考えていない。

 

考えているつもりでも、実際は考えれていない。

 

 

 

 

「考えます」

 

という安直な返事も、

 

相手にとっての印象はどんなものなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思考する」ということに対して、

 

これまであまり深く考えたことはなかった。

 

思い、考えること。

 

 

 

物事に対して考え始める。

 

思考を巡らせる。

 

頭の中をグルグルと。

 

 

 

 

 

 

 

 

次どうしよう、

 

この先どうしよう、

 

あの時あーだったな、

 

昔はこうだったな、

 

 

 

 

こんな姿になりたい、

 

あんなかっこよくなりたい、

 

こんな仕事をしたい、

 

あんなことをしたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の中で行われる「思考」

 

自分もどんなことを考えて、

毎日何を考えて日常を送っているのか。

 

 

「日常にアイデアがある」

そう思って日常をくまなくとらえようとすると、

また考え方も変わってくる。

 

 

今どうだったのか、

 

今どんな気持ちなのか、

 

なぜ自分は今これをやっているのか、

 

 

 

 

 

 

 

 

ただぼんやりと思考したり、

深く考え止まってしまうこと、

普段行われる基本的な「思考」というのは、

過去や未来に関わることがほとんどだと改めて感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、「今」に目を向けれていなかったということ。

 

 

 

どうしても判断、選択が必要な場合に、

不安う要素の方が大きくとらえてしまうのは、

人間の当たり前の心理であり、

「リスクをとる」ということに中々踏み切れないのも、

人間だから。

 

 

 

自分の頭の中をめぐっている、

頭の中をさまよっているいる状態。

 

こうなると、

どうしても自分の価値観というものが強くなってしまう。

さらに外部からの情報を受け付ける状態ではなく、

「今」という最高の実体験をみすみす逃してしまっている。

 

「今」に集中するということ、

それがどれだけ貴重であり大切か。

「今」という体験こそ、最高の学びだということ。

 

 

まだまだ何も考えれていない。

 

自分のは考えたふりかもしれない。

 

 

そうやって「今考えてるなぁ」

なんて思った時こそ、

今、この瞬間に集中して、

自分の学びを深めていく。

 

 

そうやって日常を学びに変えていく。

 

どれだけオーガニック・ラーニングを深めれるか。

 

 

 

 

 

 

まだまだ日常の「今」に集中することが足りていない。

学ぶ意欲が足りていない。

 

アイデアは日常に転がっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、現場からは以上!本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"

 

深すぎたコミュニケーション

 

 

「コミュニケーション」

 

 

 

 

 

 

 

円滑なコミュニケーション。

 

なんでも言い合える友達。

 

風通しのいい会社。

 

社員のコミュニケーション。

 

 

 

 

どこまでのコミュニケーションがとれているだろうか。

 

 

重要視されるのは、

 

情報の共有、

 

コミュケーション力のアップ、

 

見える化、

 

それから仕事の効率化、時短、残業削減。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周りに情報が蔓延しすぎて、

頭がクラクラしそうだ。

 

 

言いたいことが包み隠さずいいあえて、

仕事においてはストレートに話せて、

意見をしっかりだして、決めること決めきれる。

 

これが大事なコミュニケーション。

 

 

 

 

 

飲みにケーションや、

タバコミュニケーション、

どうにもあまり好きではないんですね、、、

 

 

 

 

飲みの席で語り合うのもいいかもしれない。

 

しかし、

そこで聞くのは仕事の愚痴や夢話ばかり。

 

お酒に身を任せて、

そんな深い話が出てくるわけでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

働き甲斐、

 

仕事のやりがい、

 

これは個人の中で認識して

自分自身で確立させるべきである。

 

会社には会社のやり方がある。

 

企業がどうありたいのか、

という部分があって、

 

その中で自分はどうありたいのか、

 

それなら「今」ここで自分は何をすべきなのか、

 

というところに最終的には落ちてくると思います。

 

 

 

 

 

 

「企業は世の中をよくするためにある。」

 

これが私が思う企業の定義。

なら自分の事業、部署ははどんなことをして世の中よくするのか、

という前提があり、その中で自分のスキルをつかってすべきことはこれだ。

この考え方が単純で分かりやすいなって思ってます。

 

どれだけ物事をシンプルに考えられるか。

そして直感的に判断して、

現場で個人個人が自立して動いていけるのか。

 

それが強い組織。

 

 

 

 

 

 

これは、今のコロナウイルが広がり、

余計に変化を求められる時代が急激に迫ってきたので、

対応できずに足を止めることも多いです。

 

でも周りにながされず、環境に惑わされず、

自分の中の志、自分のやるべきことを再確認する。

 

 

変わりたい思うなら、学びに時間を使う。

 

愚痴をこぼすような暇があるなら、学ぶ時間にする。

 

今変わりたいなら、黙って黙々と学ぶ、努力する。

 

 

 

 

「日本はアジアで一番社会人が学ばない国」

 

 

 

そんな危機感すら感じて、

今日も今日とて自分と向き合う。

 

一日半歩でも進む、足を止めないことが大事。

そう信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コミュニケーション。何が正しいのか、それも全て人の価値観。

 

 

 

 

 

この一年間、

自分の中の習慣つくりに注力してきました。

 

最初は全くの無駄だと思っていたかもしれません。

 

ブログに自分のポエムを垂れ流すだけの日々だったかもしれません。

 

 

 

 

しかし、

 

今は必要なものである。

 

必要だからやっている。

 

 

 

 

この思いが自分の中にあるから続けれている。

 

 

なによりも自分自身の可能性を、自分が一番信じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現場から以上!では本日もご安全に('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"

 

イメージと最高の準備

 

 

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「勝って兜の緒を締めよ」

 

 

 

 

 

 

 

勝った。

 

成功した。

 

 

 

 

 

 

次も必ずできる。

 

前と同じようにやれば、

 

昨年と同じようにやれば。

 

 

 

以前に成功したからと言って、

次また同じように成功するとは限らない。

 

常に最悪の事態を想定するように、

準備しておくことを忘れてはならない。

 

 

 

 

 

 

その時成功した「結果」というものは、

それ以前までにした準備によって起こった、

一つの出来事に過ぎない。

 

今、ここで手を緩めるようなことがあれば、

それ以上の結果は望めない。

 

 

 

 

 

 

勝負心

 

探究心

 

 

 

 

 

 

この2つは似ている。

 

求め続けること、

 

望み続けること。

 

 

 

 

そしてその先の未来のイメージ。

 

成功している姿、状況、

全て明確ハッキリと、

何度もイメージする。

 

 

 

人間はイメージしたことしか

実現することができないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝って兜の緒を締めよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだやれる。

 

オレ達なら必ず。

 

 

 

 

 

イメージ膨らませながら今日もやります!

 

では、本日も一日中ご安全に!👷‍♂️👷‍♀️

 

 

たまには、アメフトのお話

 

 

昨日はリーグ戦最終戦でした。

 

 

相手は一昨年負けている「いそのスーパースターズ」さん。

 

 

苦しい立ち上がりで前半は7-0で負けている状況。

 

後半全員気合い入れなおして、

 

逆転で7-21までもっていく。

 

 

 

 

そして、試合終了。

 

X3でリーグ優勝することができました!

 

 

 

 

本当にいい仲間たちとフットボールすることができている。

 

そう実感しました。

 

 

 

 

次節は、目標にしていた入れ替え戦。

 

勝てば二部昇格。

 

必ず成し遂げたい。

 

 

相手は数年前に所属していたチームでもあり、

 

顔見知りの方も多数おられます。

 

 

 

 

 

次戦もまた、必ず苦しい試合展開になると思います。

 

しかし、

 

二部に昇格すると、今年はずっと言い続けてきた。

 

ここに勝つために、今年一年やってきた。

 

全員で、必ず勝って笑いたい。

 

今年をやり切る。やったろう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

そんな試合後ですが、、、

 

 

アメリカンフットボールというのも、

やはりハードなスポーツではあります。

 

ケガもあれば、次の日から体は痛いところだらけ。

でもこれが、すごく戦ったなという感じがして、

自分たちの身を削ってでも勝ち取る勝利というのは、

何にも代え難い嬉しさ、楽しさがあります。

 

試合やり切ったなぁ、、、という感覚(笑)

 

 

 

 

そんな社会人チームに所属する選手、

皆それぞれ仕事がありますので、

もちろん試合の次の日も仕事。

 

体は痛むし、重たい。

風呂に入る時には体は傷だらけ。

 

それも全て戦った証。

このチームで戦えたことを誇りに思っています。

 

 

 

逆に、

体が痛むぐらいの方が、ちょうどいいかもしれません。

逆境に強いタイプなのか、

これぐらいのハンデがある方が、

 

「なんのこれしき、やってやるわ」

 

という気持ちになっているかもしれません(笑)

 

 

 

体の力みもとれて、

身体は疲れていても、脳は元気なので、

もしかしたら思考する分には力が抜けて、

いいアイデアが浮かんだりしそうですね、、、

 

 

この疲れに対してはポジティブな感情しかないです。

 

日曜は練習または試合で、

身体が休まる日もない。

 

 

「日曜も練習して、よく体がもつなぁ」

 

「全然休む日ないやん、しんどくない?」

 

 

何かと聞かれることも多いですが、

休む暇は無いです。

やりたいことをやっている、楽しいからやっている。

それに対してきついとかそんな感情もなく、

むしろこんな充実していることはないと思います。

 

ダラダラと過ごす休日。

 

友達と飲み明かして駄弁る。

 

家でゴロゴロとテレビを見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は戻らないし、今が一番若い時である。

そう思ったら、やりたいことは全てやりたい。

直感的に自分が楽しいと思うこと、

それを思う存分にやり切りたい。

 

 

 

 

 

そんな同じ思いの仲間たちと、今フットボールをやれていること。

 

周りでサポートしてくれているスタッフ達。

 

家族。

 

 

 

 

全員に心から感謝しています。

 

そして、必ず勝ってその恩返しを、

 

一緒に喜びを分かち合いたい。

 

 

 

 

 

最高の一日だった。

 

そして二週間後、

 

今年最高の日を迎えるために、

 

今日からまた準備を始めます。

 

 

 

 

 

絶対に達成しよう。

 

俺たちならやれる。

 

そう信じています。

 

 

 

 

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X3優勝!!最高の仲間たち

 

 

 

制約の中で、どう戦うのか

 

 

 

1日は24時間ある

 

 

 

いつそうやって習ったのか。

いつから知ったのか、1日は24時間あると。

 

時間という制約はいつでも付きまとう。

 

逃れようとしても、

それから逃れることはできない。

 

この地球上に生まれた限り、

不変的なルールとしてある。

 

1日25時間ある人間もいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれやこれやと、

次から次へとやりたいことや、

書きたいことも増えてくる。

 

割ける時間も限られる。

 

 

そうした場合、

何かの時間を削って、

別の何かに割り当てる必要がある。

 

食事、

 

遊び、

 

テレビ、

 

睡眠、

 

 

行動することによって時間を消費する。

 

何に時間を消費するのか。

 

今日自分は何に時間を割いていて、

 

何を得たんだろうか。

 

昨日の自分よりも成長しただろうか。

 

過去最高の自分を更新できたか。

 

 

 

 

 

時間の使い方」というのも、

個人の価値観による選択でしかない。

 

自分に何が必要で、

何を選択して、

その対価に時間を消費する。

 

その時間を消費するだけに見合う価値、

それがあっただろうか。

 

 

 

 

毎日は選択の連続であり、

自分の今日の選択を見直す時間、

記事を更新することも、

そのための一つの手段かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

時短

 

 

無駄な残業を省いて、

定時という決められた時間内に

今日の仕事を片付ける。

 

 

家に帰って自分のために、

 

家族のために、

 

友達のために、

 

 

 

短縮された時間を何に使うのか。

 

定時で退社した以降の時間というのも、

それぞれの選択に委ねられている。

 

 

 

 

 

 

しかし、

この「時短」というのも、

なかなか表面的なもので上手く回っているかというと、

そうでもないかのかなと思っています。

 

国が言ってるから、

社会でそうなってきているから、

という表向きなことのために、

早く帰らせる、残業したら罰則、

ぐらいの勢いで、かなり強行していることもあるようです。

 

 

 

 

 

「時短」の本来の目的は何か。

 

業務量が変わっていない、

肝心な効率化の方法もでていない、

ただ早く帰れ、と、言われるのも、

それを実行するのも無理が出てくる。

 

テレワークも普及して、

結局持ち帰りで仕事したり、

休日でてきたり、

ということも逆に増える可能性もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ「時短」するのか。

 

 

 

時短するということは、

何かの時間を短縮するわけなので、

その分自分に使える時間が増えるはず。

 

その時間を何にあてるのか。

 

これが非常に大事だと考えています。

 

 

 

 

時間でできた飲みに行こう。

 

時間ができた、友達と遊ぼう。

 

家でダラダラと、一杯やりながら映画見よう。

 

パソコン開いてゲームしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全て個人の選択。

 

今、楽しむことなのか、

未来につながることなのか。

 

 

私もゲームは好きなので、

早く帰ることができたら、

存分に一人でゲームを楽しむ、

これを真っ先に選択していました。

 

その結果が今の自分であり、

今の自分というものには、

一切の満足をしていません。

 

何をしていたんだ、と。

 

自分はその時その時、楽しいだけの選択、

それを繰り返して来てたんだな。

そう感じています。

 

 

 

 

 

今までの選択、

それを何か変える必要がある。

 

何かに費やす時間を、別の何かに置き換える必要がある。

 

変化がないと今までと変わることは無い。

 

同じ選択をしていては、今までの自分と何ら変わりはない。

 

 

人間は安定を求める。

 

今まで通りがいいし、心地よい。

 

しかし、そこを乗り越えて、

 

未知に飛び込む、リスクをとる選択をすること。

 

 

重要なのは何をするかではなく、何をやめるか

 

 

今日の自分の選択は、どうだっただろうか。

常に成長する選択をしたい。

険しい道を選択する方が、人間としての深みが出る。

 

1日を振り返って、

自分の選択を再確認し、認識することから始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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選択は1つではない。2つあるかもしれない。もし、道なき道を選択したとしても、自分のゴールをしっかりと持っていれば、必ずたどり着ける。

 

 

 

仕事が早く切り上げれた、

そうなれば、今の自分なら真っ先にカフェにいって、

読書を始めていると思います。

 

一冊読んで、

メモにアウトプットして、

ブログを書いて、、、

 

そんな時間が丸1日とれたとしたら、

とても充実した1日であり、

それが「今をやり切った」と思える選択だと思っています。

 

今できうる、最高の選択を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、現場からは以上です!

 

では、本日もご安全に!('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"(それでは、楽しんで)

 

 

考える時間↓↓↓↓

 

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聴く力、考える力

 

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アイデアのヒントは日常にある。

感じ取れていないならば、

それはまだ意識を向けれていないだけだ。

 

 

 

会話する。

 

人の話を聞く。

 

対話する。

 

意見交換をする。

 

 

 

 

 

コミュニケーション。

相手と話すことで、相手の情報を知る。

または、自分の情報を知ってもらえる。

 

会話するということは、コミュニケーションをとる上で不可欠なものである。

自身の考えや、想いを相手に伝えるために、言葉やジェスチャー、時には物を使ったり比喩的な表現で例え話を出してみたり。

 

相手に伝える方法というのは無数にある。

 

 

 

 

 

今の時代、相手と同じ場所にいなくても対話できる。

 

急速にリモートの分化が進み、

新たな働き方や生活の基盤がつくられていく。

 

そんな中で、感じたのは、

やっぱり「実際に会って話す」というのは、

これほどまでに大事なのか。

 

それを再確認させてくれる出来事でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人の話を聞くということは、みんな意識している。

 

しかし、人の聞く人の力量、

「聴く力」によって、相手から引き出せる情報や、1つの物事から得られる情報量にも違いがあるし、相手に対する自分の見え方が変わる。

 


相手を喜ばせたり、

 

相手の深層心理を引き出すのがうまかったり、

 

素っ気ない返事で相手をおこらせたり、

 

必要な情報をらきいたらサッと切り上げたり。

 

 

 

 

 

相手の受け取り方を見て、

話す側も様々な思いが渦巻く。

 

 

 

 

 


営業マンの仕事は話すことではなく、

聞くことに差がある。

 

なんか結構どこでも耳にするような話。

その辺の営業の本や、ちょっと知識のある誰かの受け売りで物を喋る人がいいがちなことかもしれないが、「聞く」ではなく「聴く」の意識であることが重要だ。

 

 

 

 

「聞く」・・・周りの声や音、たまたま入ってくる音をなどに対する「聞く」

 

「聴く」・・・相手の声に耳を傾ける、相手をリスペクトして話を理解しようとする「聴く」

 

 

 

 

 

聴き方の差。

それは聴いたことに対する反応や、

聴いた内容に対する疑問点、

 

「なぜそう思うの?」

 

「なぜそう考えたの?」

 

「なるほど、そんな考え方してるんだね〜」

 

 

まず大前提にあるのが、

相手の意見を尊重すること。

相手をリスペクトすることから始まる。

 

自分が相手を理解してこそ、

初めて自分が相手に理解される。

 

これがまず第一にあること。

 

 

 

 

 

自分から相手の話に前のめりになるぐらい、話に興味を持ってくれて、もっと知りたいと貪欲な姿勢を見せられて、話す側は悪い気はしない。

 

 

そして、同じ情報からでも、情報を受け取る側の力量によって得れる情報量の差は大きい。

 

よく聞く逸話で、

ニュートンがリンゴが木から落ちるのをみて、万有引力を発見した。

という話をよく聞いたことがあるかもしれません。

 

これはどういうことか、

何気ない生活の一部から、宇宙の法則を発見してしまったわけですね。

彼の聴く力というのは、自然の声まで聴くことができていた、と考えることもできるでしょう。

 

 

 

 

 

 


世の中に出ている革新的なアイデアも、始まりは日常の一コマにすぎないんだと思います。

 

目の前で起こった事象から、どれだけの情報を感じ取ることができたのか。

 

そうやって常に日々の中から何か吸収しようと、

 

「アイデアを見落とさず日常から見つけてやろう」

 

という貪欲な姿勢こそが、イノベーティブな発想の原点なんだと思っています。

 

 

だからこそ、

今、目の前のことに全力で集中することが最も重要なこと。

 

起きた、

 

食べた、

 

歩いた、

 

書いた、

 

 

 

冷たい、

 

寒い、

 

暑い、

 

 

 

嬉しい、

 

哀しい、

 

楽しい、

 

 

 

今、起こっている事象に対して、そして自分自身の感情の変化に対して敏感でなければ、日常からアイデアは拾えない。

 

アイデアのヒントはいつまでも聴こえない。

 

 

 

 

そんな貪欲な姿勢を磨く訓練が、

今のメモだったりブログだったり。

 

いつか何かと何かがつながって、とてつもなく大きな結合によりスパークする。

 

日常から拾ってきてものが結合する。

その時が楽しみで毎日ワクワクしながら、今日もブログを書き、メモをとり、読書をし、またメモをとる。

 

可能性はある。必ず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、現場からは以上です!

 

では、本日もご安全に!👷‍♂️👷‍♂️

 

"good luck, have fun"

 

 

夜更かし、それは特別なことだと思っていた

 

 

 

 

 

「早起きは三文の徳」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、寝るのがもともと嫌いだったのかもしれない。

 

眠くはなる、布団にも入れる、

しかし。どうしても寝る前に少しスマホを。

いやいや、もう少しだけやっぱりパソコンを。

 

 

 

今日は寝ようと思っていた。

早く寝て、早く起きて、自分のやりたいことをやるんだ。

朝起きて筋トレしてから行くぞ。

 

 

意気込みはいつだってすごい。

その意気込みも、なぜか朝、目覚ましがねて眠い目をこすりながら、

もうひと眠り入ってしまう。

結局起きるのはいつもと変わらない、

ぎりぎりの時間であった。

 

 

何故だろう。

 

早く寝ようと思っても寝れない。

 

無理やり目覚ましで起きた時には、

頭はあまり働かない。

自分の十分な睡眠が得られていないから。

 

 

 

なぜ寝れないんだろう。

 

 

なぜ起きれないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会人一年目、二年目。

 

現場の朝は早い。

8時朝礼、ラジオ体操は絶対である。

朝のゲートのカギを開けることだったり、

そこから朝の作業の段取りをしたり、

そう考えると8時前に来ていたのではてんやわんやで、

最低でも7:30着であるべきだろう。

現場も一時間かかることも少なくなかったし、

せめて6時過ぎぐらいには起きる必要があった。

 

 

朝が弱かった。

自分を夜型だと思っていた。

夜寝ることも渋っていたし、

朝は少しでも多く寝ることが重要だと思っていた。

 

 

 

 

私は早く寝ることに対して、

 

時間を損している

 

と、いう感情をなぜか昔から持っていた。

 

 

 

 

寝てしまうと、そこで一日が終わり次の日になってしまう。

日が変わり、1時や2時まで使わないともったいない。

 

せっかく今日という日がまだあるのに、

なぜ眠ってしまうんだろうか。

今日はまだ終わっていない、まだやれる。

遊んでおかないと、自分の好きなことしておかないと、

明日も仕事して、帰ってねるだけになってしまう。

 

しっかりやりたいことやらないと、割に合わんぞ。

 

 

そんな気持ちだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生の時も中学生の時も、早く寝るように言われていた。

だから、余計に夜更かしできるということに、

特別な感情を抱いていたのかもしれません。

 

 

何か少し得した気分。

自分も大人になって自由に時間を使える。

誰にも文句を言われず、自分の好きなことができる。

そんな時間を求めていたのかもしれない。

 

ただ、一日の中で自分の好きなことをする時間、

これを絶対に手放したくなかったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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朝日を浴びるとともに、今日一日の始まりを感じる。

 

 

 

 

早寝に対する抵抗がなくなったのは、

本当に最近のことです。

早起きして早朝の4時や5時という時間は、

一切誰にもじゃまされることのない、

本当に自分だけの時間。

自分のしたいこと、今やりたいことに

全ての情熱を注いで集中できる。

 

寝る準備というのは、

すでに次の日のスタートの準備。

 

時間を無駄になんてしていなかった。

むしろ、自分と向き合う最高の時間。

脳もリフレッシュされ、より創造的な思考もできる。

 

早起きの徳は、三文なんてものではなかった。

何倍も何十倍も徳を感じている。

 

私の単なる認識違い。

早寝早起きに対する、

 

考え方、捉え方の違い

 

ただそれだけだったのかもしれません。

 

 

 

 

現場からは以上、では本日もご安全に!('◇')ゞ

 

"good luck, have fun"(それでは、楽しんで)