現場監督が読書しながら執筆する『一日半歩』

現役現場監督。設計も施工も、現場の第一線で日々奮闘中です。家族とアメフトに情熱を注ぎ、メモと読書を自分のものにする。何気ない日常の出来事を、一つのストーリーとしてアウトプットする。そんな発信の場をつくっていきます!

自分と向き合う時間を毎日とろう

 

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はたらくくるま。なぜこんなにも子供から人気なのでしょう

 

 

 

「ショベルカー、かっこいい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付い時には、たくさんの言葉を話していた。

 

どこで覚えたんだろう、

もしかしたらちょっと口ずさんだことも、

拾って記憶しているのかもしれない。

 

子供は常に親を見ている。

 

 

 

 

興味がわく矛先は、見ていてとてもおもしろい。

 

気が付いたら車に夢中だった。

と、いうよりは、最初はタイヤに夢中だった。

くるくるまわるタイヤをみては集中して眺めていた。

 

車のおもちゃを走らせながら、地面にはいつくばって、

視線はタイヤに集中していた。

 

 

 

「回ってるのがおもしろいんかな?笑」

 

 

 

なんておもっているうちに、家は車だらけでした(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男の子は「はたらくくるま」が好きになる。

それは我が家が例外なわけではなく、

人間の心理的な部分もあるようです。

 

反対に女の子の場合、

自然と人形遊びやおままごとが好きになるみたいです。

 

男性ホルモンと女性ホルモンが関係はしてはいるんですが、

詳しいこともまだ解明されてないみたいですね。

 

 

男の子と女の子がいて、

自分が男なのか女の子か認識し始めるのが3歳あたり。

このころには自然と遊び方が分かれていくみたいなんですね。

 

女の子はとくにお母さんの真似事をするため、

料理をしている姿をみておままごとに夢中だったり、

抱っこしている姿から人形遊びを覚えたり、

母親の影響が多いみたいです。

 

男の子が活発に動くのは、本能的なところなんでしょうか。

遊びまわったり、体を動かすのが特に好きなのは、

狩猟本能や、人間の本質の心理的な部分が関係しているのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供は本当に見ていておもしろい。

どんどん学ぶ、成長する。

 

一日一日、新しい言葉を覚えては、

私の顔を見ながら、確認しながらしゃべってきます。

 

「うんうん、そうだね」

 

話しかけられたときは必ず目を見てあげて、

うんうんと首を振ってしっかり肯定して反応を返すようにしています。

 

ちょっとスマホを覗いている時も、

自分に興味がきていないことを子供察するんですね。

すぐに飛んできて視界の目の前に顔をいれこんできたりします。

「あらあらごめんね」ってな感じで(笑)

 

しっかりと応答して、返してあげること。

他のことで忙しくても、こっちを向いてしゃべってきている時には、

目を見て大きな素振りで返事してあげます。

それで満足そうにまたおもちゃの方へタッタッタ、とかけいく。

満足してくれてるのかな?

 

 

 

 

 

毎日学ぶ子供を見て、

「自分も毎日成長できているか」と自分に問いかける時があります。

 

 

学校では学校の勉強があり、

社会人には社会人の勉強がある。

 

しかし、社会人にテストが毎回あるわけでもない。

数字やノルマに追われることはあるかもしれないが、

勉強することを強制するわけでもない。

 

言われたこと、ノルマをクリアしていれば、

とやかく言われることはない。

 

 

しかし、社会人には社会人の学びがある。

学生を終えたから勉強から解放された、なんて自分も思っていました。

 

しかし、社会人になってからの方が学ぶ必要があることに気が付かされました。

テストも勉強の強制もない、全て自習です。

それでも、自分の学びたい分野、興味がある分野を自由に勉強して、

自分の好きなだけ学んで深めていける。

興味があることにはどんどん時間を使って学んでいけるし、

その知識が自分の武器になる。

 

 

 

社会人になってからの勉強、

それはまさに「自分と向き合う時間」ということ。

 

これを知れたのも、全ては読書をがむしゃらに続けてきた中の、

一冊の本との出会い。

新しいことを知ろうとする、学ぶことに時間をかけたおかげ。

 

 

そしてこの学びの知識を、

生かすも殺すも自分次第だということ。

 

 

子供に勉強しなさいというのであれば、

私はその倍は勉強したい。

 

昔から、言ってることとやっていることが違う、

ここにとても違和感を感じる性格でした。

それは仏教でいう「身口意」という言葉があり、

 

「やっていること」

 

「言っていること」

 

「思っていること」

 

この3つの一致のことを言います。

 

これがあってこそ、

言動に信頼がもてたり、尊敬できる人物になれるんだと思っています。

 

 

 

やってないやつには言われたくない。

やってないやつには負けられない。

 

 

 

 

 

子供には絶対に負けられませんね!笑

 

 

よし、今日もやったりましょか!ご安全に!('◇')ゞ

 

 

ついでに勉強する記事↓↓↓

 

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シンプル、つまり何もないが一番

 

 

 

 

「なんとも清々しい、スッキリした朝だなぁ」

 

 

 

 

まだ薄暗い。

日も登りかけているぐらいだろうか。

 

日も徐々に短くなってきた。

早朝というと少し薄暗さも残る。

 

朝のスッキリした頭で考えること、

朝すべきこと、この選択重要性を最近は感じている。

 

単純な作業やメール返すだけの作業よりも、

より創造的なことにリフレッシュされた脳を使いたいとも思っている。

 

 

 

 

「アイデアはたまたま思いつくものではない」

 

 

 

 

 

 

日常の中にヒントはないかと考える。

 

日常の疑問の中に、それは隠れいている。

自分が注意して感じ取れていないだけ。

24時間、365日アイデアを探すために神経をとがらせていない。

 

何かあればメモをする習慣はできた。

それを深める習慣も身についた。

 

思考する、合わせる。

ハッと驚いたり、感動、関心する場面も日常には溢れている。

 

アイデアは、日常にあふれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アイデアはどこで考える。

 

 

頭の中、ノートの上、パソコンの中、

私はもっぱら紙に書くことが多い。

最近は思い付きを書いた裏紙が、机の端に山になってきている。。笑

 

 

「夢は描くキャンパスの大きさに比例する」

 

 

 

ノートの使い方やメモの取り方、

文字の大きさや、行の使い方も人それぞれ。

しかし、ページをちまちま使うよりも、

大胆に見開き1ページ使うつもりで書くことが多い。

 

描くキャンパスの大きさ、それが自分の思考の広さ。

小さい紙に小さくまとめた字で書いていjては、

自分の思考もそれだけ狭まっていくように感じる。

 

それは書くノートの大きさ、字の大きさだけではない。

書く環境によっても、人の思考の幅は影響を受けると思っている。

 

 

 

 

「デスクの上には、何もなくて当たり前」

 

 

この文字を今年の一月、デスクトップにメモで書き記している。

それ以来、出社・退社時には机を掃除し、

仕事をしている、在籍の時以外は、

パソコンとマウスだけがデスクに出ている状態を維持している。

 

仕事のできる人のデスクはキレイ、という話もよく耳にするが、

自分の思考を広げるためには、シンプルでまっさらな環境からスタートしたい、

私の場合はそんなこだわりが強い気がする。

 

逆にデスクに一切の隙間がない人もいる。

マウスをかろうじて動かせるスペースだけだあり、

書類の上で書類を書いたりメモを取ったり。

人によってやりやすい環境は違うかもしれないが、

自分はどうしても窮屈に思えてしまう。

昔はそんな感じで仕事してたけど、考えられないね、、、

地味にA型の血が出てきてる気はする。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもしろいアイデアを思いつくには、

真っ白な、広いキャンバスで書き始めたい。

気持ちも、脳も、環境も全てフレッシュな状態で。

毎日を1からスタートして、

日常の変化を受け入れる準備を整えたい。

 

 

 

「今日も何と清々しい朝だ」

なんて毎日を迎えたい。

 

 

どれだけ朝をフレッシュにスタートして、

創造的な作業につなげていく。

今年はそんな習慣を確立します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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何もない真っ白なメモ帳の一文字目。力まず、リラックスして。

 

 

 

 

アイデアは日常に転がっている。

自分が見逃しているだけ。

そう思って日々を過ごしているといろんなことに気が付く。

物事を俯瞰してみるクセもついてくる。

 

こんな何かを生み出したいという気持ちは、

多分昔からあったのだと思います。

 

何かを作りたい。一から、自分の手で作り上げたい。

 

そんな思いから選んだのが、

作り上げる中でも大きな部類の「建築」というモノです。

 

自分の中での「建築」は、本当は手段の一つにすぎず、

一から作り上げるなら何だって楽しいんだと思います。

 

ただ、そんな中でも、今まで建築業界に携わってきて、

私はとても「建築」というものが好きで、魅了されています。

 

だから、今の仕事に誇りを持ってやっているし、

もっと広まって人が増えてほしいとも思っています。

 

そのキッカケになれる何か。

切り開きたい。

 

 

 

 

「アイデアは、日常の中にある」

 

 

 

 

 

よし、本日もやっていきましょう!

 

 

今には、今の学びを

 

 

『人間らしい行動力を生むのは想像力であり、それは人類の進歩をも生む。

 人間から想像力をとってしまうと、ただの動物にしかすぎない』

 

 

ひたすら書く、自分の脳内を全て吐き出そう。

 

私は殴るように書き続けた。

 

山積みの裏紙を、一枚、また一枚とっては、

頭によぎったとこと全てを書き出した。

 

知らない間に脳は疲れてしまう。

目を開けていれば無数の情報が飛び込んできて

すぐに脳内は情報で埋め尽くさる。

情報を処理する時間、

そして選択の連続による疲労。

 

 

朝一番、早起きの作業がいいとされるのは、

脳が完全にリフレッシュできているからだ。

 

重要なタスクは、朝に終わらせるべき、

ということに関しては同感です。

 

朝起きて、パソコンをつけて読書を始める。

この時間がとても気持ちがよい。

まだ脳は少しフワフワしている状態かもしれないが、

活字を見ているうちに次第に目が開けてくる。

 

ついでに言うと、

朝起きて一時間程は脳はかなり覚醒している状態で、

創造などの時間に使うのは非常に有効なようです。

また、目を覚ますためのカフェインを摂取するのは、

起きてすぐの場合は逆効果という研究結果もあり、

私もなるべく起きて1時間は摂取は控えて、

なるべく9時以降にコーヒーは飲むようにしています。

 

朝一で一番よいとされるのは「白湯」のようですね。

病院で入院しているとき、必ずお白湯を飲んでいましたが、

とても体にしみておいしかったのを覚えています。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文字を書くのも朝起きてすぐ、

または寝る前に書いてしまうことも多いです。

 

ブログの書く作業よりは、

創造的なことだったりを優先したい、

またはトレーニングで朝すスッキリしたい、

という部分の方が多いですね。

 

 

 

そういった思考、アイデアを書き殴ることが、

最近自分の中でもかなりしっくり来ています。

 

思ったことを全て吐き出す。

脳内をさらけ出すように、殴るようにして書く。

キレイに描く必要もなく、ただ思い浮かんだことを

その都度A4の裏紙に書きなぐる。

 

脳がとてもスッキリする上に、

ふと思い浮かんだアイデアを逃すこともない。

創造する作業としては非常にいい効果を発揮していると思います。

 

自分の中のモヤモヤも、

これだと閃いたアイデアも、

全部紙に言語化してしまう。

脳からいったん吐き出してしまう。

 

そしてその中からさらに深めたいものを、

メモ魔のメモ術を用いて深めていったりと、

合わせ技でどんどん思考の仕方が深くなっていき、

それを実感できていることが今とても楽しく思えています。

 

 

 

メモなんて嫌いだったし、

言語化する意味、なぜ書くのか、

という部分がずっと引っかかっていたところもあった。

「言語化することで何を変えれるのか」

自分自身が今まで不安に思っていたのかもしれません。

 

 

しかし、

今は言語化することの絶対的な「なぜ」の部分が自分の中にありますし、

その可能性を本気信じることができた。

そして着実に情熱を注いで、前に進めている実感がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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勉強とは、自分と向き合うこと。

 

 

 

 

 

 

 

『人間らしい行動力を生むのは想像力であり、それは人類の進歩をも生む。

 人間から想像力をとってしまうと、ただの動物にしかすぎない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学びは、知識と行動の掛け算からなるもの。

学生時代には学生の学びを。

社会人では社会人の学びを。

学ぶことに終わりはないですね。

 

 

 

 

 

よし、今日もやりますか!('◇')ゞ

 

 

今日のフィードバック↓↓↓

 

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スパークする、脳内

 

 

「閃きは偶然ではない、起こるべくして起こっている」

 

 

 

アイデアが頭の中にふと浮かんだとき、

脳内で何かがはじけたようにスパークする。

 

解放される、何かがあふれ出てくるような感覚。

 

言葉では表現できないような、

ドバァッと言わんばかりの感覚。

 

それは、

とても気持ちのいい感覚でもあり、

清々しささえも残る。

 

 

 

 

閃いた瞬間の脳内というのは、

頭がスパークして解放感にとらわれ、無限に広がっていくような感覚。

 

この時、私は脳は覚醒状態に入っていると考えている。

これについて根拠はないが、

自分の実感、体感によるもの。

何かいいアイデアを閃いたり、解決の道筋が見えた時、

目の前がブワッ!っと光が差し道が開ける。

一つの閃きが起こることによって、その先、その次のつながり、

思考すればするほど、アイデアが深まっていく感覚がある。

 

 

 

「そうしたら、こんなこともできるんじゃないか」

 

「これと一緒にしたら、もっとおもしろいことになるんじゃないか」

 

「逆にこんな角度から見てみたらどうだろう」

 

 

 

一つの閃きから、無数に枝分かれしていく。

多方面への展開が脳内にずらずらと浮かび上がり、

どんどんイメージは深まっていったり、

何かと何かが結合したり、

こうすればもっとおもしろいという、

次のパターンがどんどん頭に流れ込んでくる。

 

まさに脳内のゴールデンタイムと言えるだろう。

 

 

 

私の場合はイメージとが頭に浮かんだものは全て言語化するようにしている。

それは紙とペンだったり、スマホだったり、野帳だったり。

ただ、閃きのタイミングとして一番多いのは、

やはり通勤、帰り道のどちらかが圧倒的に多い。

これは脳がインプットをやめている、ぼーっとしている時ともいえる。

アイデアが浮かびやすい3Bと呼ばれるものに当てはまる。

(3B:bath,bus,bedのこと。風呂の中、通勤中、布団の中)

 

そんな時は浮かんだ言葉をひたすらスマホでメモしている。

本当に便利な時代になったもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閃いた瞬間というは、とても気持ちがいい。

脳内がどうにかなってしまいそうだ。

 

しかし、重要なことは閃くこと、新しいアイデアを思いつくことではない。

アイデアを思い付いた状態というのは、

言わば脳内の中で覚醒して根がどんどん伸びていっている状態。

土の中を分け入って、アイデアの深みが増幅している時です。

 

広大な土の中にしっかり根を張っている、

ぐんぐん伸びていくかもしれないが、芽は出ない。

上物はいつまで立っても伸びないで、日光も水も浴びても育たない。

誰にも見えない土の中で根を張り巡らし、

誰の目に止まるわけでもなく枯れていく。

 

情報、そしてアイデアというのは、

頭の中にしまっていても意味はないし、発信しなければ価値は出ない。

 

人の目に触れる、市場に出てきて評価があり、成長がある。

土の中でいくら育っていても、上物は枯れていく一方でした。

 

この状態は自己満足であり、自尊の欲求を満たすのみに過ぎず、

ここで満足してはただの「自己満足野郎」止まりなわけです。

 

 

 

ただの自己満足で終わりたくないというなら、

吐くしかない。吐き出せ。

 

 

 

脳内にある情報に一切の価値はないし、もしそれを、

 

「あーそれ頭の中で思いついてたのに」

 

なんて、ダサい言い訳してまうのなら、それ以上の成長はない。

 

 

 

 

 

閃いた瞬間、自分は天才なんじゃないかと思う時がある。

私自身も経験があります笑笑

 

こんなアイデア思いつくの自分しかいないな。

これまじでやったらやべーぞ、、、、

なんて頭の中で思い浮かべてたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今頭の中でスパークしたそのアイデア、閃いた立派なそのアイデアも、

おそらく、既に多くの人が頭の中にあること、

あるいは、すでに行動を起こされてことです。

自分が一番最初に思いついた、と、思っているうちには、

既に二番煎じ、三番煎じ、十番煎じぐらいにはなっているのでしょう。

 

「アイデア」そのものには、その程度の価値しかないと思います。

 

そのアイデアを思いついた中でも、

実現に向けて即行動し、努力を続けて市場に出してくる人は限られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スティーブ・ジョブズが生み出したiPhoneは革命的だと思います。

携帯とパソコンが結合し、持ち運べるパソコンが生まれたようなもの。

世界の生活を一変して変えてしまった。

まさにイノベーション。

 

 

しかし、このアイデアすらも、

誰かの頭の片隅はあったのかなと思っています。

その中でも、並み外れた先見の目により、

アイデアを実現した時の価値の大きさにいち早く気が付き

実現するために行動を起こした。

 

そして、今では無数の人々の常識を変えるデバイスとなったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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とてつもないスパークが脳内で起こる。それはつまり、異なるアイデアがつなぎ合わさった瞬間である。

 

 

 

 

「閃きは偶然ではない、起こるべくして起こっている」

 

 

 

 

 

閃くこと、新しいアイデアを生み出すことは誰にでもできる。

そしてそれは、努力によって身に着けることができるスキルです。

僕自身がそう学び、それを確信している。

 

これはまた書きますが、最近またメモの量が増えました。

これもいろんな手法の合わせ技で、どんどん思考が深まっているのが自分でもわかり、

言語化することがまた楽しくもなってきています。

 

言葉にすることの大切さは、この一年で僕自身が一番学んだことです。

そして、言語化することの可能性を心から信じていると共に、

それを証明したい、体現したいと思っています。

 

 

 

今日も今日とて、脳内の全てをさらけ出していきます。

よし、やったりましょう!( ゚Д゚)

 

 

ついでの閃き記事↓↓↓

 

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輪廻、目の前の最新

 

 

とてつもなく進歩していくけれども、

結局は回りまわって戻ってくる。

 

革新的な時代かもしれないけれど、

どこまで行こうとも、またスタート地点に帰ってくる。

 

既視感、近い感覚、

こんなの昔あったよな、なんて。

 

 

 

 

昭和、平成、令和と進んできて、

また昭和のものに注目が行く。

 

レトロさ、エモさ、映え感、

次々に移り行くトレンドという実態のないモノ。

 

 

回りまわって振り回されているだけかもしれない。

 

今見ているこのスマホも何もかも、

実は全て一旦無くなった後の世界をまた歩み始めていて、

ただ昔の歴史の繰り返しているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「歴史は繰り返す」

 

 

 

 

 

 

 

 

今あるこの当たり前、

私たちは文明が進み、技術が進歩した、

という安易なとらえ方をしてしまうかもしれないが、

いまだ知らない遥か昔の世界には、

私たちの生活が時代遅れのような文明をもっていたのかも。

なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Appleが生み出した多くのデバイスを見て思う。

 

何が一番美しいかって、

やっぱり「シンプルさ」にかなうモノはない。

 

そう思わされる。

 

 

 

 

私もシンプルなことが好きだし、

ただの箱の家を設計して住みたいと夢を持っている。

大学の設計でも、多機能な箱のプレゼンをしたのを覚えている。

 

 

 

いろんな機能、デザイン、

もう今では無数に生み出されているだろうが、

結局進んだ先には洗練されたシンプルなモノが生き残ってくる。

 

また振り出しに戻っては、知らない道を探りながら進んでいくんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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果たしてそれは進歩なのか。それとも、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「歴史は繰り返す」

 

 

 

パカパカ開くスマホを見て確信した。

 

 

 

それは多分、この地球が生まれた時からすでに決まっていること。

この地球になぜ引力があり、なぜ丸い形なのか。

なんかちょっとスピリチュアルな感じだけど、、、

 

最初から輪廻することは決まっていたのでしょう。

全て必然ということは、初めから明らかだったわけですね。。。

 

 

 

 

 

 

 

本日も言語化で頭もすっきり。

行動を起こして、意識を引っ張り上げていきましょう!

やっったろう!(・∀・)

 

 

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自分が知らないだけで、それは無意識に語られています。

 

 

 

「視線を熟知する、これがお客様を考えた究極の考え」

 

 

 

 

 

なんとなくスーパーに買い物に行く。

一人暮らしの時に買い溜めなんてするはずがない。

今日食べたいものを考えながら帰路につき、

帰り道のスーパー、あるいはコンビニでその日の夕食を調達する。

 

昼飯を考えることはあまりなかった。

300円程度の給食弁当を現場で頼むか、

コンビニ行けばサラダチキンにおにぎりと決まっていた。

 

買い物、

生きていく中でも必ずついて回る。

食料の調達がなくなることはないと思うし、

買い方は変わっていくけれど、

買うこと自体がなくなることはない。

 

頭を使えばお腹は減るし、

運動した後もお腹は減る。

なんなら寝て起きてもお腹はペコペコだ。

 

なにかを食べたいと意識して買い物にくる。

しかし、陳列されたものを見て、

 

「あら、今日はこんなものが安いのね~」

 

「この季節限定の味おいそうね~」

 

「あ、やっぱりこれにしようか」

 

 

 

目的とは違うものをついつい買ってしまいがち。

 

店頭にある目玉商品、

積み上げられた特売商品、

タイムセール、

 

買うつもりはなかったのに、

次々にかごへと入っていく。

 

レジ前のガムをとったり、

グミやチョコレートにそっと手が伸びることもある。

 

 

「こんな買うはずじゃなかったけどな、、、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これら全ての買い物は、

買う予定では無かったかもしれませんが、

お店の見せ方、売り方によって買わされている、

という解釈が正しいんでしょうね。

 

商品の陳列というのは非常に心理的な部分を考えられています。

視線の動きがすべて把握できるなら、

視線が多く集まる部分に売れ行きの商品をもっていくし、

広いフェイスを見せて人気商品と見せたり。

本当は多くの種類の商品を並べれるだけ並べる方が、

お客様は選べるし、すごく便利だと思いますが、

それもまた、売り手側の勝手な解釈にすぎないかもしれません。

 

 

深く考えたことはなかったけど、

この商品なんでここに並んでるんだろう。

 

なんでわざわざこんな積み上げて、、、

 

こんな高額商品誰がここで買うねん、、、

 

 

 

私自身、商品の陳列については関心もなかったのですが、

「この商品はなぜここに並べられていているんだろう」

「前のレジで並んでる人、ついでに手に取ってるな~」

なんて考えながら店内を見て回ると、

そこには「なぜ」がたくさん落ちていました。

 

人間の心理的な部分に実は働きかけている、

そんなお客様の視線が深く深く考えられている商品陳列の仕組み、

私はレジに並んでも暇せず、キョロキョロ見ては考えさせられていました。

 

 

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並べられた無数の商品。それは勝手に目に飛び込んできては、人間の脳に無意識に働きかけてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「視線を熟知する、これがお客様を考えた究極の考え」

 

 

何を意識して何を目的に買いにくるのか、

それはこちらから提示したとしても、

実際に買いに来る人の考えというのは様々で、

こちらで完璧に操作もできない。

 

知らぬ間に、人間の心理的な部分に、

無意識に語りかけているこの見せ方というのは、

自分も知らない、認識することが難しい部分でもあり、

 

「無意識に語りかけられて売られるなんて、勝ち目ないな、、、」

 

なんて、素人の僕はとても感動してしまいました。。。笑

 

 

「やっべ、また気が付いたら期間限定商品買ってるわ。汗」

 

 

私は「期間限定」という言葉に弱いので、効果は絶大みたいです。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よし、今日も感性を研ぎ澄ませて、一日やったりましょう( ゚Д゚)

 

 

 

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究極の便利さを求めて

 

とても便利な世の中になった。

 

私が生きてきた時代は、

とても時代の流れが速く、

様々な移り変わりがみられる時代た。

 

ITも進み、デバイスが次々に生まれては、

過去のデバイスが廃れていく。

 

とてつもないスピード感に、置いて行かれそうだ。

 

 

手で持ち運べるパソコン、スマホ。

調べれば大抵のことは出てくるし、

アプリをいれれば様々な機能が出てくる。

写真も、動画もとれる。

これ一個あれば、世界中の人とつながれるとてつもないツール。

 

 

そんな便利に便利を重ねていく世の中。

では、その便利さはどこまで進化していくのだろう。

「究極の便利さ」

便利ということは一切の手間もなくなる。

自分で動くこともなければ、考えることもない。

ボタン一つ押せば、すべてが思うままにいってしまう、

そんな究極に便利な世界になるのかもしれない。

 

進むAI技術、DX化。

 

考えることをやめてしまわないだろうか。

自分で動くことを忘れてしまわないだろうか。

 

このまま技術が進歩していったとして、

人間が動く時間をどこまで省けるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ボタン一つで、自分の思い通りに。

 

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便利な世の中になった。

機械が、システムが様々なところで助けてくれる。

 

IT化が進み、便利になっていく世の中、

人間の仕事が減ると脅されている。。

 

 

全てが自動で、AIが操作して、

それが本当に目指すべき場所なのかと、疑問に思ったこともあった。

正解はないけれでも、それが正しいか考えてしまう。

 

どこまで利便性を求めるのか。

 

 

 

 

私はどこかにある種の妥協点があると思っている。

いい塩梅である場所が。

 

 

つまり、

どちらに寄りかかり過ぎると、どちらかが自立をやめてしまう。

思考することを、しなくなってしまう。

 

そういう意味で、

補助的な部分は必要であっても、

1~10まで全てがどちらかによって行われる、

これはとてもバランスが悪い。

割合の大きい側が倒れた場合には立て直しがきかなくなるし、

そもそも寄りかかる側は自立ができない状態だ。

 

人間が寄りかかりすぎると、必ずサボし気を抜く。

考えることをやめてしまうんだろうなと。

 

 

 

そんな状況を避けたいからこそ、

人間が行うべき効率のよい部分を残しつつ、

できない部分を補う形が一番適しているんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レジ打ちに関しては、システムが変わってきて非常におもしろい。

 

通常通りのレジがあり、おつりが自動だったり、セミセルフや全自動もある。

お金の計算、に関して言えば、

人間も長時間作業を行っていると計算ミスの1つ出てくる可能性も高い。

その部分は機械に任せればミスもなく仕事をこなしてくれるだろう。

 

しかし、

レジは精算す場所でもあるが、

接客によってコミュニケーションが生まれる場所でもある。

有名なレジ打ちの人のレジには長蛇の列ができることもある。

お店のブランドとして接客を心掛けているお店では、

気持ちのいい買い物ができる。

 

 

それぞれに長所があって、短所もある。

 

全てを補完するという考えは、

やはり妥当ではない。

 

 

 

自動精算レジの前に立ち尽くし、

私は一人考えこんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっとする、、

 

「あ、すんません、すぐ会計しますね、、、苦笑」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ周りが見えていないようだ。

もっと日常に敏感になろう。

 

便利さもいいが、たまにはめんどくささを感じるのも楽しい気持ちになる。

私は割とレジの人は特徴あったりしておもしろいし、

「うわなんか声ちっちゃいな」なんて思いながら並んでる。

なんか人間味があって、買い物してる気分になってるのかもね。笑

 

 

 

 

よっし、今日もはりきって行こうか(-ωー)

 

 

無意識な情熱

 

 

当たり前のこと。

 

言われたらちゃんとやる。

 

忘れないようにメモをとる。

 

社内で誰かにあったら挨拶をする。

 

机をキレイにする。

 

 

 

 

当たり前の普段の習慣の延長にいる。

毎日無意識で行っている行動がどこかで出てしまう。

 

当たり前の習慣というのは、最も基礎なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、この状況は普通ではないのか」

 

 

今の自分の姿勢、情熱が一般の人を超えていた。

 

異常なまでの情熱注ぐそんな姿が、

周りにもしっかりと伝わっていた。

 

行動は意識を増幅させる。

そしてその情熱の異常なまでの量に、

周りまでもが巻き込まれ、周りの意識すら一緒にもっていく。

 

 

まるでセンスメイキングのように、

周りの人に何か影響を与えれる、

それだけ自分は本気で取り組めていた、姿勢からそう汲み取ってくれた。

そう思えた。

 

 

自分の行動の習慣化で、自分は少しは成長できたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

その日、

 

私は現地で打ち合わせをしていた。

 

オーナー、管理者、業者、

それぞれの目線から実際の工事内容の確認、使用の確認、

そして現地での対応が必要な場所、施工でどう納めるか。

 

写真をもとに、メールで質疑回答などでやり取りするのが主だが、

やはり実際に現場で自分の目で見て、どう対処するか、

そこで認識を合わせておく場合も必要だ。

 

「納まり」を考えるのは建築に関わる仕事をしていれば付き物で、

どの現場、物件でも納まりの話は欠かせない。

納まりをどれだけ理解しているかで、

建築についてどれぐらいの知識があるかが伺えるほど。

 

現場監督をする上では、

幅広い工種の納まりについても把握しておくことが求められる。

 

 

そんな打ち合わせの中で、メモは絶対的に必要だ。

決まったこと、確定できないことはいつまでに確定する必要があるか、

納まりが分かり辛ければ、手書きで簡単にスケッチして説明することもある。

 

私は、野帳を片手にひたすらメモをする、写真を撮りまくる。

 

「野帳」というのは、現場の方なら誰しも知ってるであろう

緑色の細長いメモ帳のことだ。

レベルブック、トランシットブックとも呼ばれる。

 

手に持ちやすく、異常な表紙の硬さに立ったままでもメモりやすい。

細長いし収納しやすく、持ち運びが便利だ。

ノートや手帳を現場で持ち歩くのはなかなか不便だったり、

たったままでの打ち合わせが多い現場打合せでは、

この野帳が圧倒的に力を発揮してくれる。

 

 

そんな野帳を片手にひたすらメモ。

決定したこと、決定しなければいけないこと。

次々に課題が出てきては決断していく。

後でどうだったかな、、、何言われたっけな、、、

なんて言ってる場合ではない。

 

記録をとることは、

最終的に自分を、会社を守ることにもつながりますね。

 

 

そんなメモしまくる姿勢ですが、

業者の方にも、

「めちゃくちゃメモするな自分笑」

なんてお言葉を頂きました。

 

 

そんなに何書くことあんねん?

ぐらいの感じで聞いたのかもしれない。

 

でも、

私は、この必死にメモしてやろう、

ここで話したこと一つ残らず書き残してやろう、

そんな姿勢が認められたような気がして。

 

無意識な行動で、これが私の当たり前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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取り組む姿勢は見られている。そして感じ取られている。

 

 

 

 

情熱は周りを引き付ける。

無意識に習慣化された行動、その異常なまでの執着には

並々ならぬ情熱が含まれているのだと思う。

 

 

行動には意識が伴う。

そしてその情熱ある行動は、周りの意識までも変えてしまう。

 

情熱ある人間の周りには、同じ情熱を持った人間が集まり、

そして新たなコミュニティができていき、さらに高めあっていく。

 

 

今一度、自分が取り込んでいることに対して、

最高の情熱が注げているか。

今日のこの今が過去最高の自分であるか。

 

自分の情熱を認識していきたい。

 

 

 

 

 

よし、今日もやりましょか!(-ωー)

 

行動する、意識。

 

 

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心の中の意識。意識した行動でなければ、成長はない。

 

 

 

意識した行動。

 

考えて動く。

 

ただ単にこなすだけではなく、

なぜやるのかを考える。

 

やらせていることに意味はないし、

そう思っていては何も身に付かない。

 

結局は自分自身の意識で、9割は変わるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

誰しも言われた事、怒られたことあるかもしれません。

 

「なんのためにやってるか考えろ」

 

「意味もなくただ単にやるならやめてしまえ」

 

 

意識的な行動、練習、習慣、

毎日のルーティーンもやらされている意識では、

本当に無意味になってしまうかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

「意識してもできない」と思う時が私もあります。

 

意識しているのに上手くいかない。

毎日更新しようと意識していたのに、

何かを理由に、言い訳を探してきては自分を肯定する。

 

手を止めてしまう。

 

 

毎日なにかやろう。

今日はこういうことを意識してやろう。

こんな目標持って。

 

 

 

意識的に行動をしようとはしているが、

なぜか行動がついてこない。

 

頭では考えている。

 

思考している。

 

何故できないんだろう、

なぜ続かないんだろう。

 

自分は本当はやる気がなく、

嫌々やってるだけ、サボりたいだけじゃないか、

自分を責めて落ちてしまう。

 

 

 

そういったネガティブな考え方は、

更にネガティブを引き寄せて、

実際自分にとっては悪いことが起きやすい。

 

 

もっとポジティブに考えたい。

口ではポジティブとはいったものの、

心のどこかでネガティブを背負っている。

 

 

「どうせ毎日習慣付けると決めても、また挫折してしまうんじゃ。。。」

 

 

どこかでできない自分がいることを認識している。

 

またできない自分、弱い自分が出てしまうんじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやったら、意識した行動を継続できるんだ、、、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるテレビ番組をみて、私は深く頷いた。

 

一般的に行動を起こすうえで、

「頭の中で考えて意識⇒行動に移す」

というプロセスになろうというのが多いと思います。

 

しかし、

「行動してみる⇒意識が付いてくる」

これが実は本来人間の心理的な本質であるようです。

 

頭で意識して行動することで、

自分のやりたいこと、目標に向けての行動を起こしていける、

と思いがちな所ですが、

実は、行動を起こすから、そこに向けての意識が自然と増幅していく

というのです。

 

 

 

驚いた、と同時に車のなかで深く頷いていた。

 

 

計画性をもってやろうが、あれこれ頭で考えようが、

動いてしまえばそちらに意識が向いてく。

そして、その行動を習慣化してしまえば、

行動するたびに意識は自然とに増幅し、どんどん膨らんでいくのです。

 

まず動く、行動主体で動く人間は、

私が今まで出会ってきた中でも何人かいますが、

人間として芯があり、必ずやり切る人間でした。

 

 

自分自身の中でもそうでした。

 

今年、いきなり何を思ったか読書を習慣付けようと思った。

自分の知らない分野に触れなかった。

自分の知らない世界をもっともっと知りたいと思った。

 

本当に今まで読書を避けて生きてきた。

年に1冊読むか読まないか程度の人間が、

いきなり100冊読もうと目標を立てた。

 

この100冊というのもなんとなく。

 

読んでいけばそのうち何を学ぶべきか、

何を読むべきか、どんな読み方をするのかも見えてくるだろうと。

「とにかく毎日本を開く習慣をつけよう」と。

 

 

 

 

 

 

 

知らぬ内に、自分の意識をいい方向へ持って行けていたのかもしれない。

 

本を開くことは習慣となり、

読み終えれば次は何を読もうか、

どんな分野に触れてみようかとワクワクする。

 

先駆者、偉人などは読書家が多く、

そんな人たちがどんな本を読んでいたのかも気になり、

kindlleで検索してはストックしていっている。

 

去年自分では考えられない。

1冊読み切ることもできなかったはずなのに。

 

まさに、「行動の習慣化から、自分の意識を増幅させた」実体験だ。

行動を起こしてみれば、意識はついてきます。

 

後はどれだけ情熱をもって接することができるかですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また今日になってやりたいこと、やってみたいことが増えた。

これもまた本の中で興味を持ち、やってみるしかないなと。

 

 

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まだまだやれることしかない。

 

意識ができているか、意志がよわいとか、

しょぼくれた言葉吐いてる場合ではない。

 

今やるしかない。

 

 

よし、今日もやったろ(-ωー)

 

 

人の目線に立つ

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「これはあなたのために考えた、とても役立つものです」

 

 

 

あなたのためを思って考えました。

 

こんなこと困ってると思うのでいかがでしょうか。

 

人のため、誰かのためと思って動くこと。

 

悪くない。

 

人のためを思って必死に考えて、自分が何かしてあげる。

とてもいい心がけ。

 

 

 

 

 

 

しかし、

 

よかれと思ってやったことも、それが実は「ありがた迷惑」だった、

なんてことがあります。

 

せっかくあなたのためを思ってやってるのに、、、

 

相手の事を考えて、相手を思って真面目に考えました。

なのになんで受け入れてくれないんですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人のために考えること=その人の求めること

 

この方程式は、成り立たない。

押しつけや、押し売りに近いイメージになってしまう。

 

人のためを思っているのに、

人のために、誰かのために、

 

これはおそらく「視点」の違いによるもので、

人のために思考するのか、

人の視点に立って思考するのか、

という違いではないだろうか。

 

 

他人が欲するもの、相手が欲するものを、

よく観察してわかっているようでわかっていない。

その人は自分ではないから。

 

こちら側の目線と、相手側の目線では、

見てるものも、感じているもの違う。

 

その人が何に重きを置いているのか、

それは相手の目線に立って考えることで、

初めて見えて来ることがあるだと。

 

 

 

 

 

 

こちらが思う良さ、価値観の押しつけ。

 

「これはとてもいいものです。そしてこれから成長していくので

 もっともっといいものが出来上がります。だから、これだけの価値ありますよ」

 

それは本当にそうなのだろうか。

相手の持っている価値観と、こちらが持っている価値観、

それはイコールなんだろうか。

 

「価値があるから、買ってください」

 

 

 

それは本当にいいものかもしれない。

しかし、それが本当に相手が求めるものなのか、

考えさせられた日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな大変な状況、世の中だからこそ、

相手の事を思って、相手の目線に立って考えたい。

 

目先のことばかりに目を向けていては、

いつしか周りに誰もいなくなっている。

 

自分の目を閉じ、他人の視点を感じ取り思考する。

そんな考えたをもたなければ、何も理解することはできないだろう。

 

 

 

 

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人の目線から見える違う景色。ここから思考しなければならない。

 

 

 

今日も一日、相手の目線に立って。

 

やったりましょう(ーωー)